9月

3日 聖グレゴリオ一世教皇
教会博士
540年頃、ローマに生まれる。帝国の皇位公務員となり、ついにローマの市長に任命されたが、やがてその職を退いて修道生活に入り、助祭に叙階されて駐コンスタンチノープル教皇大使となった。 590年9月3日にローマ教皇に選ばれ、優れた牧者として公務に励み、貧しい人々を助け、キリスト教信仰をはぐくみ、広めるために力を注いだ。道徳と神学に関する多くの著作を残し、604年3月12日に死去。(『毎日の読書』より)
8日 聖マリアの誕生 9月8日にマリアをたたえる習慣は、エルサレムで始まったようである。 五世紀に建てられた聖マリア誕生の大聖堂で、すでにこの祝日が祝われていた。 ビザンチン典礼やローマ典礼では、七世紀にこの日を聖マリアの誕生日として記念するようになった。 救い主の母として選ばれた罪のないマリアの誕生は、すべての人にとって希望であり、救いの夜明けである。(『毎日の読書』より)
9日 聖ペトロ・クラベル司祭
(任意)
1580年、スペインのベルドゥに生まれる。バルセロナの大学で文学と芸術を学んだ後、イエズス会に入会。マジョルカ等での勉強中に聖アルフォンソ・ロドリゲスに励まされ、宣教に携わる決意を固めた。 コロンビアで司祭に叙階され、「いつも黒人たちのしもべであること」を近い、黒人奴隷の援助と司牧に生涯をささげた。 1654年9月8日、コロンビアのカルタヘナで病死。( 『毎日の読書』より)
10日 日本の205福者殉教者 日本26聖人が1597年に長崎の西坂で殉教した後も、幕府によるキリシタン弾圧の手は緩むことがなかった。 1867年ピオ九世強行によって福者と選ばれた205名は、1617年から1632年にかけて長崎、江戸、仙台など日本各地で殉教して、信仰を力強く証しした人たちである。 その国籍は日本、スペイン、ポルトガルなど、七か国におよんでいる。 ( 『毎日の読書』より)
12日 マリアのみ名(任意) マリアのみ名の記念は、1513年にスペインで始まり、1684年に教皇インノチェンチオ11世によってローマ典礼歴に加えられた。第二バチカン公会議後の改訂(1969年)により 一般ローマ歴から省かれていたが、2001年から任意の記念日として再び祝われることになった。十字架上のイエスが母として与えてくださったマリアの名を、 信頼をこめてたえず呼び求め、その取り次ぎを願うことが勧められている。(『毎日のミサ』より)
13日 聖ヨハネ・クリゾストモ司教
教会博士
349年頃、アンチオケに生まれる。高度な教育を受けた後、禁欲生活を始めた。やがて司祭に叙階され、説教によって大きな実りをもたらした。 397年にコンスタンチノーブルの司教に選ばれ、聖職者と信者の生活を改める優れた牧者として活躍した。また、皇帝一族やその他の反対者の 憎しみをかい、二度にわたって追放された。追放中の虐待の結果407年9月14日にトルコのポントス州のコマネ近郊で死去、 キリスト教を解説し、キリスト者としての正しい生活を教えるために多くの説教を行い、著作を記した。このことから、「クリゾストモ」 すなわち「金の口」と呼ばれている。(『毎日の読書』より)
14日 十字架称賛 エルサレムではすでに5世紀から、復活聖堂の献堂を記念する9月13日の翌日に、キリストの十字架を礼拝する習慣があり、これは次第に東方教会全体に広まった。 ローマにこの習慣が取り入れられたのは七世紀になってからである。きょうは、キリスト者の救いと勝利の希望であるキリストの十字架を思い起こす祝日である。(『毎日の読書』より)
15日 悲しみの聖母 この祝日がローマ教会歴に取り入れられたのは1814年である。十字架称賛の翌日にあたるきょう、教会は、マリアがイエスの受難のとき、十字架のもとに たたずんで母としてその苦しみをともにしたことを思い起こしている。
(『毎日の読書』より)
16日 聖コルネリオ教皇 聖チブリアノ司教殉教者 コルネリオは251年にローマ教皇に選ばれた。対立教皇としてたったノバチアヌスの派閥に反対されたが、チブリアノに師事されて地位を保つことができた。 ガルス帝によって追放され、253年にイタリア中部のチビタベッキアでなくなった。その遺体はローマに移され、カリストの墓地に埋葬された。チブリアノは、210年頃、 来たアフリカのカルタゴで異教徒の家庭に生まれた。やがてキリスト教に改宗し、司祭に叙階され、249年にカルタゴの司教に選ばれた。 その活動と著作によって、多くの困難のただ中にあった教会をみごとに治めた。バレリアヌス帝の迫害のときにまず追放され、その後、258年9月14日に殉教した。(『毎日の読書』より)
17日 聖ロベルト・ベラルミノ司教
教会博士(任意)
1542年、トスカーナ地方のモンテブルチアノに生まれる。ローマでイエズス会に入って司祭に叙階されると、カトリックの教えを守るために優れた論争神学的な著作を著し、 ローマ学院で神学を教えた。やがて枢機卿に任命され、イタリア南部のカブアの司教になった。また、ロ−マ教皇庁の各省で、当時の多くの問題の解決のために努力して大きな業績をあげた。 1621年にローマで死去。
(『毎日の読書』より)
19日 聖ヤヌアリオ司教殉教者
(任意)
ヤヌアリオは、イタリア中部のベンネベントの司教であった。ディオクレチアヌス帝の迫害の時代(四世紀初め)にポッツォーリで殉教した。 やがて彼の遺体はナポリに移され、特にこの町では崇敬されている。(『毎日の読書』より)
20日 聖アンデレ金と同志殉教者 17世紀初め、何人かの信徒の努力によって韓国にキリスト教がもたらされた。この勇敢で熱心な教会は、1836年まで信徒によって指導されはぐくまれ、 その年に初めてフランスからパリ外国宣教会の司祭たちがひそかに入国した。1839年、1846年、1866年に迫害が起こると多くの人が殉教したが、 その中から103名が1984年に列聖された。この中で特に秀でているのは、最初の韓国人司祭で司牧の心に燃えていたアンデレ金大建(キム・テゴン)と 優れた使徒的活動を行った信徒パウロ丁夏祥(チョン・ハサン)である。殉教者たちの大部分は、既婚者、未婚者、老人、壮年、青年、少年など 勇敢な男女の信徒であった。彼らの尊い殉教は、韓国教会の貴重な初穂である。(『毎日の読書』より)
21日 聖マタイ使徒福音記者 マタイはカファルナウムに生まれ、イエスに招かれたときは徴税人であった(マタイ10・3参照)。 ヘブライ語(アラム語)で福音書を書き記し、東方で福音を宣教したと伝えられている。(『毎日の読書』より)
23日 聖ピオ(ピエトレルチーナ)
司祭
1887年、イタリア南部の都市ベネベント近郊のピエトレルチーナ村に生まれる。カプチン・フランシスコ修道会に入会して司祭になり、 サン・ジョバンニ・ロトンドの修道院で生涯の大半を過ごして奉仕職に努めた。霊的指導者として信者の告白を聴き、 病者や貧しいい人々の世話に従事して、神の民のために祈りと謙遜のうちに献身的に働いた。1968年9月23日に死去。(『毎日の読書』より)
26日 聖コスマ 聖ダミアノ殉教者(任意) 二人はおそらくディオクレチアヌス帝の迫害によって殉教した(四世紀初め)。古代の記録によると、二人の墓はシリアのキルにあり、 この墓のところに彼らにささげられた大聖堂が建てられた。やがて二人に対する崇敬はローマに伝わり、全教会に広まった。(『毎日の読書』より)
27日 聖ビセンチオ・ア・パウロ司祭 1581年、フランス南西部のアキテーヌ州に生まれる。学業を終えると司祭に叙階され、パリに行って小教区の主任司祭として働いた。 聖職者の養成と貧しい人々を助けるために「布教宣教会」を設立し、また聖ルィーズ・ド・マリヤックの協力を得て、 「愛徳姉妹会」も設立した。1660年、パリで死去。
(『毎日の読書』より)
28日 聖トマス西と15殉教者 きょう記念される聖人は、いずれもキリシタンへの迫害が激しかった1633年から1637年にかけて長崎で殉教した人たちである。 16名はドミニコ会の司祭、修道者、修道女と彼らのために働いた信徒たちで、9名の日本人のほかに、スペイン人、イタリア人、フランス人、フィリピン人が含まれている。 彼らは1987年に列聖された。(『毎日の読書』より)
29日 聖ミカエル 聖ガブリエル 
聖ラファエル大天使
ローマに建てられた聖ミカエル大聖堂の献堂は五世紀に行われ、ヒエロニモ殉教録に加えられた。現在ではこれは記念されず、ミカエルのほかにガブリエルと ラファエルが加えられてともに記念するようになった。神の使いである天使たちと心を合わせて神を賛美し、その取り次ぎを願う祝日である。(『毎日の読書』より)
30日 聖ヒエロニモ司祭教会博士 340年頃、ダルマチア(旧ユーゴスラビア西部)のストリドンに生まれる。ローマで古典を学びそこで洗礼を受けた。禁欲生活に入り、当方に赴いて司祭に叙階された。 ローマに戻るとダマソ教皇の秘書となり、聖書のラテン語訳(ヴルガタ訳)に着手し、また修道生活を広めた。 やがてベツレヘムに移り、困難な状況にある教会のために尽くし、聖書の注解書に代表される多くの著作を残した420年にベツレヘムで死去。(『毎日の読書』より)