7月

1日 福者ペトロ岐部司祭と187
殉教者
ペトロ岐部と187殉教者は、1603年から1639年にかけて殉教した日本人である。日本各地を代表しており、社会的立場も 司祭、武士、商人、家族、女性、障がいのある人、子どもと多岐にわたっている。188人のうち、司祭が4人、修道者1人、他の183人は 信徒であり、徳川幕府時代の厳しい迫害にもかかわらず、いのちをささげることによって信仰を証しした。 地域別にみて、人数が多いのは京都のヨハネ橋本太兵衛をはじめとする52名と、米沢のルイス甘糟右衛門ら53名である。 また、生月の西一家、京都の橋本一家、加賀山・小笠原一族、島原の内堀一家は、家族が信仰のきずなで結ばれ、励まし合い、支えあって殉教していった。 188名の中で代表的な人物は、イエズス会の司祭、ペトロ岐部である。1587年、豊後に生まれた彼は、有馬にあるイエズス会のセミナリオに入ったが、 1614年、禁教令によってマカオへ追放された。マカオでの養成が困難であったためローマへ出発し、そこで司祭となったが、帰路についたとき日本では迫害の嵐が吹き荒れていた。 1639年、彼は江戸で逆さつるしの刑に処せられ、殉教した。殉教者たちの信仰と愛を称えて、2008年11月24日、長崎市においてペトロ岐部と187殉教者の列福式が行われた。 日本の教会が、殉教者の血から生まれ、その上に立てられたことを思い起こし、現代社会の中で教会が自信と活気に満ちあふれて、福音を宣べ伝えるきっかけとなった。死をとおして、 イエスの愛にならった彼らの証は、どんなときもイエスの価値観を選び、それを証しすることの大切さを、わたしたちに教えてくれる。(『Laudate』より)
3日 聖トマ使徒 十二使徒の一人トマは、初めキリストの復活を信じなかったが、復活したキリストを目の前にして信じるようになった。こうして彼は、教会の信仰にもなった復活者に対する信仰を、 「わたしの主、わたしの神よ」と言って宣言した。トマの生涯については、福音書に書かれていることがらのほかには何も確実なことは知られていないが、インドの人々の福音を伝えた とも言われている。彼の遺体がシリアのエデッサに運ばれたことの記念日が、六世紀から同地で7月3日に祝われている。
(『毎日の読書』より)
4日 聖エリザベト(ポルトガル)(任意) 1271年、アラゴニアの王家に生まれる。若くしてポルトガル王のもとに嫁ぎ、二人の子を産んだ。困難と苦労をしのびつつ、祈りと愛の業に励んだ。 夫の死後、貧者に全財産を施し、フランシスコ第三会員となった。 子と孫の争いの調停に努めつつ、1336年に帰天した。(『毎日の読書』より)
5日 聖アントニオ・マリア・ザカリア
司祭(任意)
1502年、ロンゴバルディア(北イタリア)のクレモナに生まれる。バドバで医学を学んだあと、司祭となり、キリスト者の倫理生活を高めるうえで、大きな業績をあげた。 また、聖パウロ律修聖職者会(バルナバ修道会)を創立した。1539年に死去。(『毎日の読書』より)
6日 聖マリア・ゴレッティおとめ
殉教者
1890年、イタリアのコリナルドの貧しい家庭に生まれる。ネットゥーノ近郊の農家に住み込みで働き、苦しい少女時代を過ごした。敬虔に行き、熱心に祈った。 1902年、彼女を暴行しようとした青年に激しく抵抗し、貞潔を保ったが、ナイフで刺されて死去。(『毎日の読書』より)
9日 聖アウグスチノ・チャオ・ロン
司祭と同志殉教者
アントニオは、イタリアのクレモナで生まれた。パドバの大学で医学を学び、医師となった彼は、肉体的な病ばかりでなく、 司祭となって精神的に苦しむ人びとをも導き助けたいと思った。司祭になってからのアントニオは人びとの救いのために働き、 1530年、同じ志をもった数人の司祭とともに、使徒パウロを模範とする修道会「聖パウロの律修聖職者会」を創立した。 この会は、活動の拠点となった聖バルナバ教会にちなんで「バルナバ修道会」と呼ばれ、人びとの魂の救済に力を尽くした。(『Laudate』より)
11日 聖ベネディクト修道院長 480年頃、ウンブリアのヌルシアに生まれる。ローマで教育を受け、スビアコで隠遁生活を始めた。 弟子をそこに集め、やがてモンテ・カッシーノに場所を移し、有名な修道院を設立し、会則を著した。 その会則がヨーロッパのほとんどの地方に広まったため、彼は西方教会における修道生活の祖と呼ばれるようになった。 547年3月21日に没したが、八世紀の終わりから、彼の記念日は、多くの地方で7月11日に祝われるようになった。(『毎日の読書』より)
13日 聖ハインリッヒ(任意) 973年、ドイツのバイエルンに生まれる。父親の後を継いでバイエルン公となり、やがて神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれた。 教会の改革に努め、宣教活動を推進し、多数の司教座を設立し、多くの修道院を経済的に援助した。 1014年に死去せひ、1146年、エウゲニオ三世教皇によって列聖された。
(『毎日の読書』より)
14日 聖カミロ(レリス)司祭
(任意)
1550年、アブルッツィ地方のキエティ近郊に生まれる。初めは兵士になったが、やがて心を入れ替え、病人の世話に専念するようになった。 学問を修めて司祭に叙階されると、病者に奉仕する修道会を創立した。1614年にローマで死去。(『毎日の読書』より)
15日 聖ボナベントゥラ司教
教会博士
1218年頃、中央イタリアのトスカナのバニョレジオに生まれる。パリで哲学と神学を修め、フランシスコ会に入り、教授資格を取得。 フランシスコ会員たちに哲学と神学を教え、大きな成果を収めた。やがて同会の総会長に選ばれ、分別と英知をもって会を治め、 ついにアルバーノの司教枢機卿に任命された。1274年にリヨンで死去。神学と哲学に関する多くのすぐれた著書を残した。
(『毎日の読書』より)
16日 カルメル山の聖母(任意) カルメル山の美しさは聖書でたたえられている。預言者エリヤはこの山で、生ける神に対するイスラエル人たちの信仰を保つよう奮闘した。 12世紀に何人かの隠遁者がカルメル山に入り、後に同地で神の母聖マリアの保護のもとに観想生活を送るためにカルメル会を創立した。
(『毎日の読書』より)
20日 聖アポリナーリス司教殉教者(任意) アポリナリスは、北イタリアのラヴェンナで宣教し、その地の最初の司教となった。彼は、多くの病人を癒し、奇跡を行ったといわれる。 皇帝ネロの迫害の際に捕えられ、拷問を受けて追放され、その後殉教したと伝えられている。 彼の遺体は、ラヴェンナの近くに建てられた聖アポリナリスのバジリカに埋葬され、9世紀に、聖マルティノ司教座聖堂に移された。 この教会は新聖アポリナリス教会と呼ばれている。ビザンチン美術の代表的建築であり、そのモザイク画は世界的にも有名である。(『Laudate』より)
21日 聖ラウレンチオ(ブリンディジ)司祭教会博士(任意) 1559年に生まれる。カプチン・フランシスコ修道会に入り、会員に神学を教え、数々の要職に就いた。 熱心な説教者としてヨーロッパ中を巡り、また、信仰に関する多くの優れた著作を残した。 1619年にリスボンで死去。
(『毎日の読書』より)
22日 聖マリア(マグダラ) キリストに従う人たちの一人で、キリストが十字架上で亡くなられたときにそばに立ち、三日目の朝早く、復活したイエスと最初に出会った(マルコ16・9)。 マグダラのマリアへの崇敬は、特に12世紀から西方教会に広まった。
(『毎日の読書』より)
23日 聖ビルジッタ修道女(任意) 1303年、スウェーデンに生まれる。若くして結婚して8人の子を産み、優れた教育を施した。フランシスコ第三会員となり、夫の死後は、世間にとどまりながら 禁欲的な生活を始めた。やがて修道会を創立し、ローマに赴き、そこで模範的な修徳生活を送った。また苦行として旅えをし、自らの神秘体験を説く多くの著作をのこした。1373年にローマで死去。(『毎日の読書』より)
24日 聖シャーベル・マクループ司祭(任意) シャーベル(幼名ヨセフ)は、1828年5月8日にレバノンに生まれた。彼は、3歳のときに父を失い、叔父にあずけられた。幼いころから隠遁(いんとん)生活の召命を感じ、14歳になると村はずれの洞くつに隠遁し、祈りに専念した。 今日この場所は「聖なる洞くつ」と呼ばれている。当時は隠修士の生活には23歳にならなければ入ることができなかった。そのため、レバノンのマロニータ修道会の修練院に入ったのは、彼が23歳になった1851年であった。 ここで、シャーベルは殉教者サルベルの名をもらい、1859年に司祭に叙階された。シャーベルは、1875年には隠遁生活を始める許可が与えられ、祈りと犠牲をもって、人びとが神にたちかえるように祈り続けた。 1898年12月16日、ミサの最中に発作が起こり、8日間の苦しみの後24日に亡くなった。数カ月後、彼の墓が開かれたが、その遺体は腐敗していなかった。さらに1950年と1952年にも、彼の墓は開かれたが、 彼の体は、生きているようだった。そしてシャーベルは、短時間に、600の奇跡をおこした。1965年12月5日、シャーベルはパウロ6世によって、第二バチカン公会議の教父たち全員の前で列福された。そして、パウロ6世は、彼を1977年10月9日、列聖した。(『Laudate』より)
25日 聖ヤコブ使徒 ベトサイダに生まれたヤコブは、ゼベダイの子で使徒ヨハネの兄弟である。彼はキリストが大切な奇跡をおこなう場に居合わせた。 42年頃、ヘロデ王によって殺害された。スペインのコンポステラには聖ヤコブにささげられた立派な教会堂があり、有名な巡礼地となっている。(『毎日の読書』より)
26日 聖マリアの両親聖ヨアキムと
聖アンナ
二世紀に由来する伝承によれば、聖母マリアの両親の名前は、やキムとアンナであった。アンナに対する崇敬は、すでに六世紀に東方教会において見られ、 10世紀に西方教会にも広まった。ヨアキムに対する崇敬が盛んになったのは、近代からである。(『毎日の読書』より)
29日 聖マルタ マルタはマリアとラザロの姉妹であった。ベタニアでイエスをあたたかくもてなし、また、 イエスは彼女の祈りにこたえて、死んだラザロを復活させた。
(『毎日の読書』より)
30日 聖ペトロ・クリソロゴ司教
教会博士(任意)
380年頃、イタリアの恵美リア州イモラに生まれ、そこで聖職者となった。424年にラベンナの司教に選ばれ、説教と著作で教区民を熱心に指導した。 450年頃に死去。(『毎日の読書』より)
31日 聖イグナチオ(ロヨラ) 1491年、スペイン北西部のロヨラに生まれる。宮廷と軍隊での生活を送っていたが、後に神に立ち帰り、パリで神学を学んで最初の同志を集め、 やがてローマで正式にイエズス会を創立した。著作と会員の教育によって実り豊かな使徒的活動を行い、その会員たちは、教会の刷新のために 大奥の業績を残した。1556年にローマで死去。(『毎日の読書』より)