4月

2日 聖フランシスコ(パオラ)隠世修道者(任意) 1416年、南イタリアのカンブリア地方のパオラに生まれる。隠世修道会を創立したが、 これは、後にミニモ修道会(最も小さいものの意)となり、1506年に使徒座の認証を得た。 1507年、フランスのトゥールで死去。
(『毎日の読書』より)
4日 聖イシドロ司教教会博士
(任意)
560年頃、スペインのセビリア近郊で生まれる。父の死後、兄のレアンドロから教育を受けた。 セビリアの司教に選ばれ、多くの優れた著作を残した。賢明な諸教令を採択する多くの教会会議をスペインで開き司会した。 636年に死去。(『毎日の読書』より)
5日 聖ビンセンチオ・フェレル司祭
(任意)
1350年、スペインのバレンシアに生まれ、ドミニコ会に入って神学教授となる。 説教師として多くの地方を訪れ、正統信仰を守り人々の論理を正す点で大きな成功を収めた。 1419年、フランスのヴァンヌで死去。(『毎日の読書』より)
7日 聖イヨハネ・バプティスタ
(ラ・サール)司祭(任意)
1651年、フランスのランスに生まれる。司祭に叙階されると、貧しい子どもたちを教えるために多くの学校を 設立して、青少年の教育のために全力を尽くした。同志を集めて修道会を創立したが、その存続のためには多くの困難を耐え忍んだ。 1719年、ルーアンで死去。(『毎日の読書』より)
11日 聖スタニスラオ
司教殉教者(任意)
1306年頃、ポーランドのシチェパヌフに生まれ、ベルギーのリェージュで学問を収めた。 司祭になった後、司教ランベルトの後任として1702年にクラクフの司教となった。貧しい者を助け、毎年のように司祭たちを 訪問するなど、よい牧者として教会を治めた。国王ポレスウァフ二世の不品行を非難したため、1079年、王によって殺害された。(『毎日の読書』より)
13日 聖マルチノ一世教皇殉教者(任意) ウンブリア(イタリア中部)のトーディに生まれ、ローマで聖職者となり、649年にローマ教皇に選ばれた。 同年教会会議を招集、そこでキリスト単位論の誤謬を排斥した。そのため、653年、ローマ皇帝コンスタンス二世に 捕えられ、コンスタンチノーブルに連行されて虐待を受けた。ついにクリミア半島のケルソンに追放され、656年に同地で死去。(『毎日の読書』より)
21日 聖アンセルモ司教教会博士(任意) 1033年、ペモンテ(北イタリア)のアオスタに生まれる。フランスのベックのベネディクト会修道院に入り、 完徳の生活に励みつつ、修道者たちに神学を教えた。英国に渡ってカンタベリーの司教となった。 教会の自由を守るために力を尽くし、そのために国王によって二度追放された。 多くの優れた神学的著作を残した。1109年に死去。(『毎日の読書』より)
23日 聖ジェルオルジオ殉教者
(任意)
パレスチナのディオスポリス(現在のリッダ)ではすでに四世紀にこの聖人の崇敬が行われ、彼にささげられた教会堂も 建立されている。崇敬は古代以来、東西両教会に広まった。(『毎日の読書』より)
23日 聖アダルベルト司教殉教者
(任意)
ロシアのキエフのオルガ女王は、70歳のときにキリスト信者になり、臣下の者たちをも改宗させたいと思っていた。 それで女王は、キリスト教国であるドイツのオットー大帝に、宣教師をロシアに派遣してくれるように依頼した。 依頼を受けたオットー大帝は、聖マクシミン修道院のアダルベルト修道士を宣教師団の長に選び、一行を派遣した。 しかし、アダルベルトたちが宣教を始めようとしたとたんに、オルガ女王の異教徒の王子が彼女を退位させて自ら王位につき、キリスト信者たちを迫害し始めたのである。 この迫害をのがれドイツに帰ることができたのはアダルベルトだけであった。 その後、アダルベルトは、オットー大帝からウェイセンベルグの修道院の院長に任命された。 彼は、修道士の義務が、教会の歴史を記録することであるとの信念を持っており、その編纂に力を注いだ。当時記された年代記は、今日まで残っている。 また、オットー大帝の国教政策によって、968年に最初の大司教としてアダルベルトが任命された。(『Laudate』より)
24日 聖フィデイリス
(ジグマリンゲン)
司祭殉教者(任意)
1578年、ドイツのジグマリンゲンに生まれる。カプチン・フランシスコ会に入会して日夜祈りに 専念する厳しい生活を送り、説教活動に専念した。やがてローマの布教聖者によって、カトリック信仰を 強めるためにスイス南東地方に送られたが、1622年、同地方のゼーヴィスで、異教徒に襲われて殺害され、殉教した。(『毎日の読書』より)
25日 聖マルコ福音記者 マルコはバルナバの従兄弟で、使徒パウロの宣教旅行に同行し、後にローマにいるパウロのもとに行った。 また、ペトロの弟子でもあり、その教えに基づいて福音書を著した。マルコはアレキサンドリア教会の創立者とも言われている。
(『毎日の読書』より)
28日 聖ペトロ・シャネル
司祭殉教者(任意)
1803年、フランスのキュエー市に生まれる。司祭に叙階されると何年かの間、司牧に携わった。 やがてマリスト会に入会し、福音宣教のためオセアニアに赴いた。多くの困難に遭いながらも幾人かの人をキリスト教に改宗させた。 このことを不服に思た人によって、1841年、フツナ島で暗殺された。(『毎日の読書』より)
28日 聖ルイ・マリー・グリニヨン・ド・
モンフォール司祭(任意)
グリニヨン・ド・モンフォールは、フランス北西部の町で生まれた。 敬虔で徳の高い両親に育てられ、イエズス会の学校で学んだ。哲学終了後、パリのサン・スルピス神学校に進み、司祭になった。 厳格なヤンセニストに対して、人生の目的や信仰生活を人々に説いた。また聖母に熱心に祈っていた。グリニヨンは、『聖母に対する真の信心』『聖母の秘密』などの本を書き、聖母への祈りを広めた。 1703年に、病人・貧しい人を世話する「英知修道会」を、翌年にはパリに「マリア宣教会」を創立した。(『Laudate』より)
29日 聖カタリナ(シエナ)おとめ
教会博士
1347年、イタリアのシエナに生まれる。すでに若いころから完徳の道を志し、ドミニコ会第三会員になった。 神と隣人に対する愛に燃え、イタリアの諸都市間の平和と一致のために努力した。また、ローマ教皇の権利と自由を擁護し、 修道生活の刷新を推し進め、聖霊による熱い信仰心とすぐれた教えに満ちた著作を残した。1380年に死去。(『毎日の読書』より)
30日 聖ピオ五世教皇(任意) 1504年、イタリアのアレキサンドリア近郊で生まれる。ドミニコ会に入会し、神学を教えた。司教、枢機卿を経て、1566年に教皇に選出された。 トリエント公会議によって始められた教会改革を力強く奨励し、宣教活動を促進し、典礼を改善した。1572年5月1日に死去。(『毎日の読書』より)