12月

3日 日本宣教の保護者
聖フランシスコ・ザビエル司祭
1506年、スペインで生まれる。パリ大学で勉強したときロヨラの聖イグナチオと出会い、最初のイエズス会員たちの一人となる。1537年にベネチアで司祭に叙階され、事前行為に献身。 1541年に東洋を目指して旅立ち、インド、日本などで10年間、福音宣教に専念し、多くの人をキリスト教信仰に導いた。1552年、中国の上川島で死去。(『毎日の読書』より)
4日 聖ヨハネ(ダマスコ)司祭
教会博士(任意)
7世紀後半に、シリアのダマスコのキリスト信者の家庭に生まれる。 哲学を学んでから、エルサレム近郊の聖サバ修道院に入り、司祭になる。 多くの神学書を書き、特に聖画像破壊主義者たちの説を力強く論駁した。8世紀半ばに死去。(『毎日の読書』より)
6日 聖ニコラオ司教(任意) リュキア(現在のトルコ)のミュラの司教。 四世紀半ばに死去。彼に対する崇敬は、特に十世紀から全教会に広まった。(『毎日の読書』より)
7日 聖アンブロジオ司教教会博士 340年頃、ドイツのとリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執務官になる。 374年ミラノ在住の折、突然同市の司教に選出され、12月7日に司教叙階を受けた。 司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。 また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。(『毎日の読書』より)
8日 無原罪の聖マリア マリアは神の特別な恵みによって、その存在の最初から、あらゆる罪から守られていた。これは、マリアが神の母であることにもとづいている。 被昇天と同様、無原罪の宿りにおいても、マリアは、しみもしわも汚れもない聖なる教会(エフェソ5・27参照)の前表である。(『毎日の読書』より)
9日 聖ホアン・ディエゴ・クアウトラトアツィン(任意) 1474年ごろ、メキシコのインディオ(先住民)の家に生まれた。1531年、主とメキシコシティー近郊のテベヤクの丘で神の母マリアが荒れに現れ、純朴な信仰の人であった彼に、 その地にグァダウベの聖母をたたえる教会堂を建てるよう、謙遜かつ熱心に求めた。ホァン・ディエゴは1548年に当地で死去。2002年7月にヨハネ・パウロ二世によって列聖された。(『毎日の読書』より)
11日 聖ダマソ一世教皇(任意) 305年頃、スペインに生まれる。ローマで聖職者となり、366年、困難な時代にローマ教皇となる。離教者や異端者に対抗するために多くの教会会議を開き、 殉教者に対する崇敬を広め、彼らの墓に碑文をささげた。384年に死去。(『毎日の読書』より)
12日 グアダルベの聖母(任意) 1531年、現在のメキシコの首都メキシコシティー近郊のテベヤクの丘で、聖マリアがインディオ(先住民)の家に生まれたホァン・ディエゴに現れた。 彼の外套にはマリアが現れ、当地では現在も崇敬されている。純朴な信仰を保ったホァン・ディエゴをとおして、クアダルベの聖母にささげられた大聖堂は すべての人を招いている。この記念日は2002年に一般ローマ歴に加えられた。(『毎日の読書』より)
13日 聖ルチアおとめ殉教者 ディオクレチアヌス帝によるキリスト教迫害の間に、おそらくシチリア島のシラクサで亡くなった。ルチアに対する崇敬は、古代からほとんど全教会に広まり、 ローマ典文(第1奉献文)にその名前が入れられた。(『毎日の読書』より)
14日 聖ヨハネ(十字架の)司祭教会博士(任意) 1542年頃、スペインのフォンティロスで生まれる。カルメル会に入会後、アビラの聖テレジアに刺激され、1568年、男子カルメル会の改革に着手、 大変労苦しながらも、改革の仕事を最後まで続行した。1591年、ウベタで死去。彼の傑出した聖性と英知を示す優れた霊的著作を残した。(『毎日の読書』より)
21日 聖ペトロ・カニジオ司祭教会博士(任意) 1521年、オランダのナイメーヘンに生まれる。ケルンで学問を治め、イエズス会に入会、1546年に司祭に叙階される。 ドイツへ派遣され、カトリックの信仰を保護し確率するために、著作の中でも、「小教理問答」は特に有名。 1597年、スイスの振りプールで死去。(『毎日の読書』より)
23日 聖ヨハネ(ケンティ)司祭(任意) 1390年、ポーランドのクラクフ司教区のケンティ市に生まれる。司祭に叙階後、クラクフ大学で長い間教え、 後にイルクス小教区の主任司祭となる。正統信仰の優れた教師で高徳の生活を送り、特に隣人愛に秀で、 教師や学生の模範となった。1473年に死去。(『毎日の読書』より)
26日 聖ステファノ殉教者 ステファノは最初の殉教者であり、その証しは教会の模範として、常に大切にされてきた。 彼は、使徒たちを補佐するために選ばれた7人のうちの一人で、やがて福音宣教にも携わった。 主・キリストの受難に倣い、自分を迫害する人々に最後まで愛を示して殉教した。(『毎日の読書』より)
27日 聖ヨハネ使徒福音記者 ゼベタイの子ヤコブの兄弟の使徒ヨハネは、ペトロとヤコブと共に主の変容を証しし(マルコ9・2-3)、 ゲッセマネにおけるイエスの祈りに立ち会うなど(同14・33)、イエスと説くに親しい弟子の一人であった。 また、聖霊降臨の後は、ペトロと共にエルサレム教会の指導者としても活躍した。(『毎日の読書』より)
28日 幼子殉教者 六世紀頃から、教会は主の降誕の季節に、聖なる幼子たちの殉教を祝ってきた。 ヘロデによって殺害されたこれらの幼子たちは、贖われた人の初穂である。イスラエルのために命をささげた彼らは、 言葉は話せなかったが、その死によって信仰を証ししたのである。(『毎日の読書』より)
29日 聖トマス・ベケット司教殉教者(任意) 1118年、ロンドンに生まれる。カンタベリー教会の聖職者となり、さらに国王の大法官となる。 1162年にカンタベリー司教に選ばれ、国王ヘンリー二世に対して教会の権利を賢明に擁護した。 そのため、国から追放され、6年間フランスに滞在せざるをえなかった。帰国を許された後も数々の 試練を耐え忍び、ついに1170年、国王が遣わした騎士の手で殺害された。(『毎日の読書』より)
31日 聖シルベストロ一世教皇
(任意)
314年にローマ司教に叙階され、コンスタンチノープル帝の時代に教会を治めた。また、ドナトゥス派の異端やアレイオス派が引き起こした 問題に悩まされた。335年に死去し、サラリア街道沿いのプリスキラの墓地に埋葬された。
(『毎日の読書』より)