1月

1日 神の母聖マリア マリアを「神の母」と宣言したのは、431年のエフェソ公会議でした。年のはじめをマリアの記念日として祝い、祈るのは古いローマ教会の伝統によっています。また、この日がことに大事にされるようになったのは、12月25日から数えてちょうど8日目にあたるからです。 誕生した神の子は「イエス」と命名されることにより、正式に神の民の歴史、人類の歴史の一員になります。そして、マリアには、救い主としてのイエスの使命に、自分も深く一致するという母の姿があります。
2日 聖バジリオ 聖グレゴリオ
(ナジアンズ)司教教会博士
バジリオは330年、カッパドキアのカエサリアでキリスト教徒の家庭に生まれた。370年に故郷の司教となり、アレイオス派の異端と戦い、多くのの優れた著作を著した。 彼の書いた修道戒律は特に有名で、東方教会の多くの修道会で現在も守られている。379年1月1日に死去。

グレゴリオは同じく330年、ナジアンズ近郊に生まれた。隠遁生活を送るために友人バジリオのもとに赴いたが、間もなく司祭に、 やがて司教に叙階された。381年にコンスタンチノーブルの司教に選ばれたが、同教会に起こった派閥争いのため職を辞してナジアンズに戻り、 389年(あるいは390年)1月25日に死去。学問と雄弁によって名声高めたため「神学者」という称号を与えられた。
(『毎日の読書』より)
7日 聖ライムンド(ベニャフォル)
司祭(任意)
1175年頃、バルセロナ近郊で生まれる。バルセロナ教会の参事会員になった後、ドミニコ会に入会優れた教会法学者として、グレゴリオ九世教皇の命令に従って「教皇教令集」を編集した。 ドミニコ会総長に選ばれ、優れた諸規定を発布して会を治めた。特に優れた著作は、ゆるしの秘跡を正しく有益に執行するためにかかれた「良心問題大全」である。 1275年に死去。(『毎日の読書』より)
13日 聖ヒラリオ司教教会博士
(任意)
四世紀初めにフランスのボワティエに生まれる。350年頃、同志の司教に選ばれ、アリウス派として激しく戦ったが、コンスタンティウス帝によって追放された。 カトリックの信仰を固め、聖書を翻訳する秀でた著作を残した。367年に死去。
(『毎日の読書』より)
17日 聖アントニオ修道院長 「修道生活の父」として知られるアントニオは、250年頃エジプトに生まれた。両親の死後、財産を貧者に分け与えて荒れ野に引きこもり、 そこで禁欲の生活をはじめ、多くの弟子が彼に師事した、ディオクレチアヌス帝による迫害のときに信仰の苦しみを受けている人々を支え、 アリウス派に対して戦った聖アナタシオを助けることなどによって、教会のために働いた。356年に死去。
(『毎日の読書』より)
20日 聖ファビアノ教皇殉教者
(任意)
236年にローマ司教に選ばれ、聖チブリアノが伝えているとおり、デキウス帝による迫害が始まった250年に殉教し、カリストの墓地に埋葬された。 (『毎日の読書』より)
20日 聖セバスチアノ殉教者
(任意)
ディオクレチアヌス帝による迫害の初期(三世紀末)にローマで殉教した。彼の墓は、アッピア街道沿いのカタコンブにあり、古代末期から信者の崇敬の対象とされている。 (『毎日の読書』より)
21日 聖アグネスおとめ殉教者 三世紀後半、あるいはむしろ四世紀初めにローマで殉教した。ダマソ教皇は彼女の墓に碑文をささげ、聖アンブロジオをはじめ多くの教父たちが、アグネスをたたえている。 (『毎日の読書』より)
22日 聖ビセンチオ助祭殉教者
(任意)
サラゴサ(スペイン北東部)の教会の助祭であったビセンチオは、ディオクレチアヌス帝による迫害のときにスペインかのバレンシアで激しい拷問を受け、おそらく304年に殉教した。 彼に対する崇敬は、直ちに教会中に広まった。
(『毎日の読書』より)
24日 聖フランシスコ・サレジオ司教
教会博士
1567年にフランスのサヴォア地方に生まれる。司祭に叙階されると、祖国のカトリック教会の復興のために尽力した。 ジュネーブの司教に選ばれると、教区の聖職者や信者たちの指導に全力を尽くし、著作と活動によって彼らの信仰を育て、すべての人にとって模範となった。 1622年12月28日にリヨンで没し、遺体はアンネシーに埋葬された。(『毎日の読書』より)
25日 聖パウロの回心 キリストの弟子たちを迫害していたサウロ(後のパウロ)は、ダマスコに向かう途中、復活したキリストと出会い、迫害者から信仰者に変った(使徒言行録9・1-22)。 パウロの回心をこの日に記念することの起源は確かではないが、5世紀後半の「ヒエロニズム殉教録」には、すでに記載されている。
(『毎日の読書』より)
26日 聖テモテ 聖テトス テモテとテトスは使徒パウロの弟子である。協力者である。テモテはエフェソの教会を、テトスはクレタの教会を指導した。パウロは彼らに「教会書簡」と呼ばれる手紙を送り、 その中で、司牧者と信者たちを育てるうえでの、すぐれた教えを述べている。 (『毎日の読書』より)
26日 聖アンジェラ・メリチおとめ
(任意)
テモテとテトスは使徒パウロの弟子である。協力者である。テモテはエフェソの教会を、テトスはクレタの教会を指導した。パウロは彼らに「教会書簡」と呼ばれる手紙を送り、 その中で、司牧者と信者たちを育てるうえでの、すぐれた教えを述べている。 (『毎日の読書』より)
28日 聖トマス・アクィナス司祭
教会博士
1225年頃、アキノの伯爵の家庭に生まれる。初めはモンテ・カッシーノの修道院で、次いでナポリで学問を修めた。 後にドミニコ会に入り、パリとケルンで聖アルベルト・マグヌスに師事して学業を終えた。哲学と神学を教えるとともにそれらに関する多くの優れた著作を残した。 1274年3月7日にフォッサノーバ近郊で没したが、1369年1月28日に遺体がトゥールーズに移されたことからこの日に記念されるようになった。(『毎日の読書』より)
31日 聖ヨハネ・ボスコ司祭 1815年、トリノ教区のカステルヌーボー近郊に生まれる。辛苦に満ちた幼少期を経て司祭となり、青少年の教育に全力を注ぎ、若者に職業やキリスト教的生活を修得させる修道会(サレジオ会)を創立した。 後にドミニコ会に入り、パリとケルンで聖アルベルト・マグヌスに師事して学業を終えた。哲学と神学を教えるとともにそれらに関する多くの優れた著作を残した。 1274年3月7日にフォッサノーバ近郊で没したが、1369年1月28日に遺体がトゥールーズに移されたことからこの日に記念されるようになった。(『毎日の読書』より)