名古屋教区典礼委員会
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典礼の霊性−ミサの式次第に学ぶ(8)      神言修道会司祭 市瀬英昭

  「あわれみの賛歌」(キリエ)は、五世紀後半にシチリア出身のギリシャ人教皇ゲラジウス一世によって東方典礼からローマ典礼へ取り入れられたと言われています。これは、「主よ、あわれみたまえ」と訳されますが、ギリシャ語でそのまま「キリエ・エレイソン」と唱えることもできます。ラテン典礼の祭儀にギリシャ語がそのまま残っていることからもわかるように、このキリエは、 ギリシャ語が使用されている教会で祭儀の始めにあった「ゲラジウスの嘆願」(連願、リタニー)の際に繰り返されていた応答の部分だけが残ったものと考えられています。ですから、その文脈で言うなら「主よ、われらの祈りを聞きたまえ」あるいは「主は賛美されますように」という意味になります。このような応唱としてのキリエの例は、現在では「テゼーの祈り」に見ることができます。
  留意すべきは、キリエが、私たちの罪深さにというより、キリストによって明らかになった神の憐みに心を向けさせる歓呼として、集まった会衆、全教会、世界の上に、その憐みを願い求め、また、神を賛美する働きをもつ応唱である、という点です。因みに、「憐み深い」という修飾語は聖書においては神について特権的に使用される形容詞となっています。その意味で、キリエは「主よ、あなたは憐み深い!」という信頼に満ちた呼びかけです。
  新約聖書と同様に、典礼祭儀のこのキリエ(主よ)は、復活の主キリストを指していることも大切です。初代教会において、ローマ皇帝や他の王ではなく、信者の心と生活の中心にあるのは、つまり、「主」はイエス・キリストである、という信仰宣言を含んだ歓呼であったからです。私たちの場合も、「主」は、財産や地位や家柄などでなく、世の救いのためにいのちを捧げられたキリストである、 という表明をここでなしていることになります。現代におけるいろいろな「偶像」に対して、それは神ではない、それは主ではない、という私たちの宣言がこのキリエの中にも含まれています。典礼は常に「預言的典礼」です。
  待降節、四旬節以外の主日、祝祭日には、祭儀に彩りそえるために「栄光の賛歌」(グロリア)が歌われます。これは、東方典礼の朝の祈りの賛歌に由来するもので、「栄光の賛歌は、きわめて古いとうとぶべき賛歌であって、聖霊のうちに集う教会は、この歌をもって神なる父と小羊をたたえ、祈るのである」(『総則』53番)とされています。主日や祭日だけでなく、 その共同体にとって何らかの盛大な記念日などの際には、この賛歌が歌われます。大栄唱とも呼び得るこの賛歌は三部構成をなしています。

@「イエス誕生」の場面で歌われた天使の歌 。
A神への賛美―これは、誉め・称え・拝み・崇め・感謝する、ということばでたたみかけるように歌わ
  れますが、日本語訳とは異なり原文では、「あなたを、あなたに」という神への直接の呼びかけとな
  っています 。
Bイエス・キリストへの祈願−聖書的な表現をもってイエス・キリストのみが聖であり、王であり、いと
  高き者であり、父の右に座す存在であると、歌われます。最後には、聖霊にも言及され、全体とし
  て三位一体的賛歌となっています。

歌い方については、全員で歌うことも、半分に分かれて交互に歌うこともできるでしょう。この後、開祭の部を締め括る「集会祈願」が来ます。
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