名古屋教区典礼委員会
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典礼の霊性−ミサの式次第に学ぶ(7)      神言修道会司祭 市瀬英昭

  当日のミサへの司式者の短い案内が終わると、「回心の祈り」が始まります。この部分も刷新以前は司祭の準備、つまり、司祭が会衆のためにふさわしくミサを捧げることができるようにと、司祭が侍者を伴って個人的に祭壇の前で祈る「階段祈祷」と呼ばれるものでした。刷新後は、ミサが共同体の祭儀であることを行動的参加で示すためにも、司祭と会衆が一緒に回心の式を行うことになりました。第一形式では次のような流れになっています。

@創作が可能な司祭の招きの言葉
A「各自が心を自己に向けるための沈黙」(『総則』45番)
B共同で唱える回心の祈り
C神にゆるしを願う司祭の祈り
D会衆の同意を示すアーメン

 です。この第一形式の他に、対話形式(第二)と連願形式(第三)がありますが、基本的な内容は同じです。
  ところで、回心の短い祈りの言葉にも、大切なことが含まれています。一つ目は、私たちの罪を認めましょう、という「複数形」での司祭の呼びかけに、「全能の神と兄弟の皆さんに(わたしは)告白します」という「単数形」で会衆が答える点です。典礼祭儀の主体は共同体ですから、原則として主語は「私たち」ですが、それでもミサの中で3回ほど「わたし」が現れます。 ちなみに、それらは、ここ回心の箇所と信仰宣言(わたしは信じます)の箇所、そして聖体拝領前の応唱の部分(規範版の「わたしはあなたをお迎えするにふさわしくありません」)です。しかし、共同体の信仰と個人の信仰は密接に関連しており、区別はできても切り離すことはできません。典礼祭儀全体を貫く「私たち」の中に「わたし」が並存していることを忘れてはならないと思われます。
  二つ目は、ここに集う共同体は、横のつながり(現代)と縦のつながり(歴史)だけではなく、垂直のつながり(超越)の中にあることが「聖母マリア、すべての天使と聖人、そして兄弟に皆さん」という表現に含まれているという点です。典礼祭儀の中の「天使」も大切なテーマなので、後ほど、「サンクトゥス」の箇所で扱いますが、ミサは見える次元だけでなく見えない次元にまで広がって祝われる真の意味の「共同体の」祭儀である、という点です。
  三つ目は、「告白する」(コンフィーテリ)という表現についてです。この言葉は、その対象によって訳語を変えた方がよい動詞と言われます。つまり、対象が「罪」ならば「告白する」、「信仰」ならば「宣言する」、「神」ならば「賛美する」と訳し変えることがふさわしい用語です。もっとも、罪を告白し、神のゆるしに感謝と賛美を捧げることとは重なり合っており、これらを分離することはできません。この回心の祈りは、私たちが神の招きにふさわしく応答できなかったことを反省し、 ゆるしを願いつつ、ゆるしてくださる憐れみ深い神に感謝と賛美をささげること、をその内容としています。「ゆるしの秘跡」の場合とは異なり、ゆるしを願う司祭の祈りも嘆願形式であって、宣言形式ではありません。沈黙を含むこの回心の祈りの部分が、破れの多い私たちを包んでくださる神の癒しを実感させるひと時となりますように。これは、続く「あわれみの賛歌」(キリエ)につながるテーマとなっています。
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