名古屋教区典礼委員会
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典礼の霊性−ミサの式次第に学ぶ(6)      神言修道会司祭 市瀬英昭

  奉仕者と司式者が祭壇に到着すると、司式者はキリストのシンボルである祭壇への表敬を行い、司祭席に立ちます。入祭の歌が終わると、三位一体の神「父と子と聖霊のみ名」によって祭儀が開始されます。十字架のしるしは、最短の動作による信仰宣言です。 それは死に対する勝利の宣言であり、また、各自の洗礼の恵みを思い起させる所作でもあります。その後、司祭は「主は皆さんとともに」をもって会衆に典礼的あいさつを行います。刷新以前は、これが唯一の様式でしたが、現在は、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんとともに」という パウロの手紙(1コリント1,3他)を下敷きにした呼びかけなども用意されています。典礼祭儀で使用される用語の多くは現代の日常語ではなく、聖書的背景を持つもので、この「主があなたとともに」も、「ルツへ」(ルツ記2,4)、「ギデオンへ」(士師記6,12)、「アザリアへ」(歴代誌下15,2) そして「マリアへ」(ルカ1,28)などの 例に見られます。これは、神の収穫のために労苦する人、神のために戦う人、神を告白し信じる人たちへ向けられた祝福のあいさつです。
  さて、キリスト教典礼で登場する最古の例は、三世紀初頭のものと言われる『ヒッポリュトスの使徒伝承』にあります。典礼的使用の場合、この「主」は復活の主キリストであり、弟子たちに自らを顕し、息を吹きかけて「聖霊を受けよ」(ヨハネ20、22)と言われた主が、今・ここに現存されることが司祭のこのあいさつによって宣言されます。 会衆の応答は「また、司祭とともに」。規範版では「また、あなたの<霊>とともに」となっており、この「霊」(スピリトゥス)についての黙想が大切となります。日本語への直訳が困難として省略される場合でも内容的な理解が必要と思われます。教父たちのインスピレーションを受けて、イエスが十字架上で「息を引き取られた」(聖書では「霊を引き渡された」)ときの息 つまり「霊」は、教会共同体へと引き渡された!と解することもできます。要するに、ここでの会衆の応答は司式司祭の人間的な次元へ向けられたものではない、ということです。司式者の奉仕「者」としての個人的な側面ではなく、教会と「世の救いのために」(ヨハネ3、17)遂行される奉仕「職」の尊厳を浮かび上がらせる用語としての「霊」の意義を見失ってはならないでしょう。 その点では、会衆も同様の尊厳を担っています(1ペトロ2、9参照)。ミサ中に四回繰り返されるこの対話句(他は福音朗読の前、奉献文の前、派遣の祝福の前)は、祭儀への会衆の行動的参加を促すものでもありますが、それ以上に、この祭儀が人間的な集会やイベントではなく、見えない神との出会いが実現する「信仰の神秘の祭儀」であることを示しています。 ミサの始まりにあたってなされる「このあいさつと応答は、ともに集まった<教会の神秘>を表す」(『総則』50番)と記述されているのはその意味です。いずれにしても、東方西方の全教会の共通遺産であるこの対話句を大切に唱えたいものです。召された恵みとそれに伴う使命を思いながら。
  この対話句の後、当日のミサへの案内が「ごく簡潔に」なされますが、その目的は、これから祝われる「信仰の神秘」へ会衆を招待することにあります。
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