名古屋教区典礼委員会
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典礼の霊性−ミサの式次第に学ぶ(4)      神言修道会司祭 市瀬英昭

  司式者が奉献文の結びとして朗誦する栄唱に応える会衆の「アーメン!」が終わると、ひと呼吸おいて、交わりの儀が始まります。この部分も、私たちの渇きと憧れに対応する仕方で、 式次第が整えられていると見ることができます。「主の祈り」から始まるこの部分の頂点は「コムニオ」(聖体拝領)ですが、ここも、私たちのもっとも深い次元での必要性に応えてくれるものを含んでいます。 つまり、「キリストのからだ」にあずかり、分かち合うことで、信者同志の本当の交わり、本来の関わりが実現する、という恵みの体験がそれです。奉献文の本体では「キリストの御からだと御血にともにあずかる私たちが 聖霊によって一つに結ばれますように」と祈られました(第二奉献文)。そして、その交わりは、そこだけにとどめておくことのできない満ち溢れとなって、日常生活へ、社会へと広がっていきます。 そのようなコムニオとなるためには、私たち自身の準備も必要となります。その準備がどのように儀式化されているか、その式次第については、後ほど詳しく見ることにしましょう。
  公式祈願である拝領祈願が祈られた後、感謝の祭儀を締めくくるのは、「閉祭の部」の「派遣」です。ここにも、私たちが信仰生活において主体的になっていく次元を見ることができます。 人間的に言っても、何ごとかを委託され、依頼されて、送り出される、ということは、私たちにとって嬉しい出来事です。通常、子どもたちは、親に、先生に「信頼される」ことで成長していきます。 失敗する可能性や未熟さを承知の上で、子どもたちを信じ何ごとかを託し、そして見守っていく大人たちの姿勢が、子どもを成長させます。父なる神、独り子なるキリストの私たちに対する心遣いと関わり方も そのように表現することができるのではないでしょうか。私たちの信仰生活における成長を願っておられる「愛なる神」の配慮が、ここ、閉祭と派遣の祝福にも表現されていると見ることができます。
  さて、非日常の場で「感謝の祭儀」(エウカリスティア)を祝い、日常の場で「感謝の生活」(エウカリスティア)を生きるために、祭儀の場へ呼び集められ、その祭儀から日常生活へ送り出される、 という構造について、これまで主に、人間的な次元に焦点を当てて簡単に見てきました。次回から、少し詳しく、式次第の流れとそれらの霊的な意味を考えていくことといたします。
  一般的に言うなら、「祭儀」や「儀式」は、本来、人間性の回復、成長と深まりを促すものであって、決して人間を縛ったり、疲れさせたりするものではありません。 カトリック典礼は、とりわけ、感謝の祭儀は、「イエス・キリストの過越」を共に祝いながら私たち自身と世界の過越を促し、可能にする祭儀であって、最終的な救いを先取りする、その意味で、 「地上における天国」とも表現される祝祭です。この世に生きるキリスト者として「天を仰ぎ、地を歩む」(C.マルクシースの書名の邦訳タイトル)生き方を喜んで生きていくことができるよう、感謝の祭儀のかたちとこころを共に学んで参りましょう。
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