名古屋教区典礼委員会
≪≪HOME    ≪≪典礼の霊性top
空白

典礼の霊性−ミサの式次第に学ぶ(16)      神言修道会司祭 市瀬英昭

  説教の後しばしの沈黙があって「信仰宣言」が行われます。これは元来ミサのための作成されたものではなく洗礼式にその起源がある、と言われています。洗礼式の際に「あなたは〜を信じますか」と繰り返される質問に「わたしは信じます」と応答された信仰宣言の言葉がミサ典礼の中に取り入れられ、ビザンティン典礼とローマ典礼では、単数形で唱えられています。すでに述べられたように(7)、 典礼祭儀の中の動詞の単数形と複数形はつながっていますが、それは次のような事情によります。「すべての祈りは、たとえ共同でなされる場合も、それが<私の>信仰、<私の愛>の表現でないなら、それは祈りではない。また他方、われわれはキリスト教の共同体的一面として、兄弟同士互いに結ばれているという意識がないなら、われわれは真にキリスト者とはなっていなのである」(G.L.ディークマンOSB)。

  信仰宣言がミサに導入されたのは、東方教会では6世紀の初め、西方でもスペインのトレド教会会議で導入が決定されたのは6世紀の終わりですが、ローマ典礼に正式に導入されたのは1014年とされています。ミサの中の位置づけ、ことばの典礼の中の機能について『総則』は「集まった全会衆が、聖書からとられた朗読の中で告げられ、説教を通して解説された神のことばへの会衆の応答であり、 偉大な諸神秘が祝われる前にそれを思い起こし表明することにその主眼がある」と記しています(67項)。教会の公の信仰表明ですから「典礼で用いるために認可された式文によって信仰の規範を宣言する」ことが必要となります(同)。使徒信条もニケア・コンスタンティン信条も、凝縮された表現となっていますし、「おとめマリアから生まれ」と「ポンティオ・ピラトのもと」での受難、十字架死が直結した宣言となっていますので、 この間に、「洗礼者ヨハネから洗礼を受け、聖霊に満たされ、貧しい者に神の国を述べ伝え、病める者をいやし、しいたげられた者を受け入れ、こうして諸国民の救いのために、イスラエルを呼びさまし、すべての民を憐れまれる」という文章を挿入する提案もあります(J.モルトマン)。実際の信仰宣言の際にそうするかどうかは別として、短い宣言の中にこのような内容が含まれていることを改めて思い起こしたいと思います。 天地の創造主なる神への賛美から始まり、からだの復活、永遠のいのちの信仰が盛られていますが、その中でも、歴史の中への神の到来、キリストの受肉の出来事が中心的なものとなっています。この「受肉の神秘」に言及する箇所、「主は聖霊によって人となり」の部分で「一同は手を合わせて深く礼をする」となっており(『総則』137項)、このような動作、所作によって、受肉の神秘をのべる「教理の言葉」が、その神秘を祝い、 からだをもって行う動作つまり「典礼のことば」に変わっていると見ることができます。信仰宣言であり賛歌ではありませんが、情報伝達ではなく、神に栄光を帰する言葉であり、会衆の行動的参加が実践される場面でもあるので、歌唱も意義があると思われます。いずれにしても、このクレドを単なる式次第の一部として機械的に唱えるのではなく、聖書朗読と説教への応答として、心を込めて宣言するようにしたいものです。

空白
≪≪典礼の霊性−ミサの式次第に学ぶ(15)             典礼の霊性−ミサの式次第に学ぶ(17)≫≫