名古屋教区典礼委員会
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典礼の霊性−ミサの式次第に学ぶ(15)      神言修道会司祭 市瀬英昭

  福音朗読の後、「説教」が行われます。説教の重要性については、『典礼憲章』が説教を「典礼そのものの一部である」と宣言し、主日と守るべき祝日には重大に理由なしに省いてはならない、と記しています(52条参照)。典礼祭儀中の「ことば」について様々な用語が充てられていますが、説教のために選ばれた用語は「ホメリア」です。 これは、形式的にはともかく内容的には、一方的ではない「交わり、対話」のニュアンスを持っている用語だと言われます。また、説教で語られる内容の方向付けに関しては、『典礼憲章』、『ローマ・ミサ典礼書の総則』,『朗読聖書の緒言』などに述べられていますが、要点は、@典礼暦に従って A聖書に基づいて B信仰の秘義をキリスト教的生活の諸原則を説明すること とまとめることが出来るでしょう(『朗読聖書』67項)。

  カトリックのミサにおける説教の場合、その内容が聖書の本文の解説あるいはそこからのメッセージに限られてはおらず、ミサ中のすべての式文、祈願なども考慮に入れて作成されることが特徴と言えます。信者や求道者の日常生活で起こる様々なできごとを「信仰の光のもとで」見るとどう見えるか、どう考えられるか、どう生きられるか、などについての励ましや慰めや、時に訓戒といった仕方で、会衆にことばを届けるのが説教の意義です。 要するに、典礼と聖書と日常生活を「つなげる」ことに説教者の任務がある、と言えるでしょう。これもまさに祭司としての奉仕の務めです。ですから、そのような重要な奉仕職をふさわしく果たすことが出来るようにと、会衆は説教者のために祈り、また同時に、「聴く」という奉仕によって典礼祭儀に行動的に参加します。

  ところで、ミサ中に行われる説教を担当するのは、その重要性に鑑み、司式司祭とされていますが、「司式司祭からゆだねられた共同司式司祭か、あるいは状況に応じて時には助祭によってもおこなわれる」(『総則』65項)ことも可能となっています。 教会は、確かに、伝統的には、説教は叙階された役職的奉仕者(司教、司祭、助祭)による務めであるとしており、神学生が行う「教話」(プレディカティオ)や司祭不在の時の集会祭儀で信徒が行う「勧めのことば」(モニティオ)と概念的に区別しています。 しかしながら、これらに共通して言えることは、これらの「ことばの奉仕者」たちの働きは、神の民の共同体が形成され、継続的に養われ、また深められていくためになされる「恵みであり課題である」ということではないでしょか。

  人間は人間らしく生きていくために言葉を必要とする存在ですが、私たちは通常の次元の言葉ではなく、「神のことば」を信仰の旅路の糧として必要とし、また、求めています。  初期の教会ラテン語では、説教するとは、救いの秘義を「祝う」「ほめたたえる」という意味を持っていました。この点も再考さるべき事柄だと思われます。説教者には、この大切な任務をふさわしく果たすことが出来るよう、日頃からの広い意味の勉強と祈り黙想が求められます。「説教に働く聖霊」(石丸新)に信頼しながら、説教者と会衆が「神のことば」を祝い、喜びのメッセージを分かち合い、共に生きる力を得られるなら幸いです。

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