名古屋教区典礼委員会
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典礼の霊性−ミサの式次第に学ぶ(14)      神言修道会司祭 市瀬英昭

  ことばの典礼の頂点は「福音朗読」です。留意すべきは、これが単なる文字の「音読」ではなく、生きた福音のメッセージの「宣言」であるということです。そして、その宣言の本来の役務者は「助祭」とされています。 助祭の務めは「典礼、ことば、愛の奉仕」と言われていますが、その存在と働きは教会共同体における奉仕職のモデルであり基礎をなしています。小教区のミサで助祭が奉仕している場合は例外的ですので、通常は、司祭がその任務を遂行しますが、その場合も助祭としての喜ばしい義務を果たします。 会衆への呼びかけの際、「司祭は朗読台で福音書を開き、手を合わせ、<主は皆さんとともに>と唱える」規定されていますが(『総則』134項)、司祭は手を広げるのではなく、手を合わせて、とわざわざルブリカに記されていることにその意味がシンボライズされています。

  ことばによるキリストの現存が実現するこの福音朗読は「他の朗読にもまして栄誉をもって飾られている」(『朗読聖書の緒言』60項)訳ですが、現行の式次第でも次のような要素によってそれが儀式化されています。@視覚的にも嗅覚的にもその重要性を体験させるために、ローソクの光や献香を伴うことができる。 A入祭の際に、朗読福音書を捧げ持って進み、それを祭壇に置いておき、朗読のときに祭壇から朗読台へ運び式を行うことが出来る。B朗読者は直前に「主の福音をふさわしく告げることが出来ますように」と祈る。C会衆との対話の後、「〜による福音」と唱え、会衆は「主に栄光」と応唱する。 D朗読者は福音書に十字架のしるしをする。会衆も額と口と胸に十字架のしるしをする。E会衆は「立って」福音のメッセージを傾聴する。F朗読の終わりに、(規範版では)「主のことば」と唱え、会衆は「キリストに賛美」と応唱する、などがそれです。 しかしながら、福音朗読を巡る所作やシンボリズムがどのようなものであれ、もっとも重要なことは、福音の宣言自体とその傾聴であることを忘れてはならないでしょう。

  ところで、聖書のことばが朗読される際、とりわけ「福音朗読」のときに、会衆が手元のテキストやパンフレットの活字を目で追わず、顔を上げて朗読の声に耳を傾けることの積極的意味については以下にように言えるでしょう。一つには、もしテキストの文字を目で追っているとするなら、 そのとき会衆は自分たちに向かって宣言される神のことばに依存してはいず、自分自身で読んでいることになって、聖書のことばを自分でコントロールしていることになります。その場合、生ける神のことばに向き合い、キリスと出会うとは言えなくなるかもしれません。 二つ目には、朗読者の声に会衆全員で聴き入ることによって、そこに一つの共同体が生まれますが、もし、個人個人がそれぞれ活字を読んでいるとするなら、共同体の一致は失われてしまいます。なぜなら、私たちは、「一人で読むようにではなく、共に聴くように」呼び集められているからです。 しかし、このようなことが可能となるためには、ことばのいのちを会衆に届けるような朗読のあり方が求められます。「聞き取れる声で、はっきりと、味わえるように」(『朗読聖書の緒言』14項)朗読するための準備は、教会共同体を創り上げるためのすべての「奉仕職」の喜ばしい課題です。

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