名古屋教区典礼委員会
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典礼の霊性−ミサの式次第に学ぶ(13)      神言修道会司祭 市瀬英昭

  ことばの典礼の頂点である「福音朗読」に先立って「アレルヤ唱」(四旬節の場合は詠唱)が歌われます。アレルヤとは周知のように「神を賛美せよ!」という意味の歓呼です。詩編に多用されていますが(111編〜113編、135編、146編〜150編)、新約聖書では「ヨハネの黙示録」19章だけに見られます。これが感謝の祭儀の「ことばの典礼」の中に取り入れられ重要な位置を占めることになりました。答唱詩編がその前の朗読に対して応えるものであるのに対して、アレルヤ唱は次にくる「福音朗読」を準備するものとなっています。アレルヤ唱はローマ典礼へ7世紀半ばに導入されましたが、旧約聖書において神へ向けられた歓呼が新約の典礼祭儀の中で「復活の主キリスト」を迎える式次第として配置され、その意義が浮き彫りとなっています。アレルヤは、アーメンやホサンナやマラナタと同様に、翻訳し尽すことのできない意味内容を含んでいます。 これらの歓呼は言葉や文章ではなく、端的に言うなら、「叫び」の部類に属するものです。ここでは復活の主キリストを迎える歓呼、ここで、今から私たちに語りかけて下さる主へ向けられた叫びとしての機能を持っています。その意味で、アレルヤ唱は「喜びと賛美とそしていかなる言葉、いかなる説明よりも真実なものの臨在の体験を表現するための、響き渡るメロディーとして今日まで伝えられてきた」ということができるでしょう(アレキサンドル・シュメーマン『ユーカリスト−神の国のサクラメント』)。『総則』には「語りかける主を迎えてあいさつし、自らの信仰を歌によって表明する」とまとめられています(63項)。会衆は「立って」主を迎えます。その応唱句は続いて朗読される福音書の主な一句から取られるため、朗読の新鮮さが−キリストご自身から聞きたい言葉を先取りする結果となるため−いささか失われることになったのは惜しむべき、という見解もあります。これは今後の課題かもしれません。

  ここで、「続唱」(セクエンチア)について一言しておきましょう。現行の式次第では、一年に二回、アレルヤ唱の前に復活の八日間と聖霊降臨の祭日に「続唱」を歌うことになっています。この続唱は本来「(アレルヤ唱の)続き」の意味であって、アレルヤ唱をさらに豊かにする歌として作成されたものです。中世には5000ほどの続唱が作られたと言われていますが、ピオ五世の『ローマ・ミサ典礼書』では4つだけが残されました。それらは、復活祭の「ヴィクティメ・パスカリ・ラウデス」、聖霊降臨祭の「ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス」、聖体の祝日の「ラウダ・シオン」、死者ミサのための「ディエス・イレ」です。1727年に、悲しみの聖母の祝日のために「スタバト・マーテル」が加えられていますが、上述のように、現在では、復活の八日間と聖霊降臨の際の二つの続唱だけが歌われ、後は任意となっています(『総則』64項)。なお、「ディエス・イレ」(怒りの日)は、死と裁きの恐怖が過度に強調されているという理由で現在廃止されていますが、これは音楽史、典礼音楽史にとって重要な歴史の証人であり、歌詞では、「憐れみの源」「慈悲深いイエズス」と繰り返され、最後は「彼らをゆるし、彼らに安息を与えたまえ」と結ばれていることからも、この続唱を終末論的信仰の視点から再評価することも可能かもしれません。

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