名古屋教区典礼委員会
≪≪HOME    ≪≪典礼の霊性top
空白

典礼の霊性−ミサの式次第に学ぶ(12)      神言修道会司祭 市瀬英昭

  第一朗読の後、しばしの沈黙があって、「答唱詩編」が唱えられます。これはことばの典礼の構成要素であり、その意義については、「典礼の面からも司牧の面からも重要な意義を持っている。それは、答唱詩編が神のことばの黙想を助けるからである」と明記されています(『総則』61項)。この引用部分は、新総則で加筆された箇所ですが、黙想するとはここでは「噛み締めて味合う」という意味でとられてよいと思われます。今聞いた神のことばを噛み締めながら、詩編のことばを自分たちのことばとして神に応える、という実践が大切となります。その場合、具体的には、少なくとも答唱リフレインの部分はテキストに目をやるのではなく暗記して唱えることが大切です。そして、心を込めるためには―現代においては蔑ろにされている―「暗記すること」が有益と思われます。

  さて、この「答唱詩編」の部分にも、第二バチカン公会議の典礼刷新の実がよく表れています。第一は、神のことばの宝庫が解放されるべきという方針(『憲章』51条)が現実となっているということ。具体的には、聖書について、@そこから朗読が行われ、Aこれが説教において説明され、Bそこから詩編が歌われる、(同24条)などが可能となったという点。第二は、答唱詩編において会衆の「行動的参加」が実践されているという点です。

  ところで、詩編は全聖書において特別な位置を占めています。詩編以外の聖書のことばが「神から人間へ」向けられた語りかけであるのに対して、ほとんどの詩編が「人間から神へ」昇っていく祈りだからです。答唱詩編を聞き歌いながら私たちは神にどのように祈るべきかを体験的に学んでいきます。私たちは、聞くことばによってだけでなく、私たち自身が唱えることばによっても作り変えられていきます。

  第二朗読では、復活節を例外として、使徒の手紙が読まれます。手紙は、通常、現実の具体的な状況へ向けて送られるメッセージです。実際の朗読の場合、例えばパウロがコリントの教会へ向けて具体的な問題について発信したことばが、今ここの私たちへ向けられてもの「として」受け取られることが肝要と思われます。「キリストの福音の光」に照らして信者がどのように生きていくべきか、について語られることばは普遍的であって時代と場所を越えて今ここの私たちに届けられます。もし受け取る用意があるなら。

  ここで、朗読後に−規範版の場合−なされる「応唱」について一言しておきましょう。朗読後にただちに沈黙に入る、という日本の適応を巡っていろいろな場で混乱や不統一が見られましたが、「朗読自体」が重要であり、二次的な側面で混乱するのは好ましくない、との判断によって今回、規範版にそのまま従うこととなります。沈黙、応唱いずれにも意味があるわけですが、規範版の「神のことば!−神に感謝!」の意義については次のように言えるでしょう。「使徒パウロの・・手紙」と始められた朗読が、最後には「神のことば!」と閉じられます。つまり、人間(パウロ)が書いたことばが「神のことば」に「なる!」という出来事を表現する式次第として理解するという事です。続いて「福音朗読」に先立って「アレルヤ唱」が歌われます。この歓呼の意義については次回見ることといたします。

空白
≪≪典礼の霊性−ミサの式次第に学ぶ(11)             典礼の霊性−ミサの式次第に学ぶ(13)≫≫