名古屋教区典礼委員会
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典礼の霊性−ミサの式次第に学ぶ(1)      神言修道会司祭 市瀬英昭

  キリスト者の生活の原点はミサにあります。 それは、キリスト教信仰が凝縮された祭儀です。 祭儀や儀式という用語は一般的には硬い印象を与えますが、この「かたち」によって、実は、私たち自身が解放され、生き方が深められる、ということが起こることも忘れてはならないでしょう。 そのためには、その「かたち」がどのような「こころ」を表わしているか、を了解することが必要となります。
  キリスト教信仰は、信仰箇条への単なる知的な同意ではありません。 その信仰は、キリスト者の現実の生活を励まし、ゆるし、支え、方向づけるものであって、それは身をもって学ぶ信仰でもあります。 「涙の谷」とも言われるこの現実を、そこから逃避するのでも、その中に埋没するのでもない生き方を、地に足をつけて希望をもって生きていくためには、足腰のしなやかな信仰が必要とされているように思われます。 ここに、典礼祭儀の重要性が浮かび上がってきます。
  以下、主日のミサについて、ミサの式次第とそれが示す信仰という視点で学んでいきたいと思います。 その前に、二つのことを述べておきます。 まず、用語についてです。 「ミサ」は多くの名称の中の一つです。 他には、新約聖書に登場する「パン裂き」、「主の晩餐」そして「エウカリスティア」(=感謝)、「シナクシス」(=集会)、「サンクタ・ミステリア」(=聖なる秘義)などがあり、東方典礼では「レイトゥルギア」が使用されています。 「ミサ」は派遣、解散を意味する言葉から派生したものですが、それ以外にもこのように多くの呼び名があるのは、一言では表すことのできない内容をこの「祭儀」が秘められているからだと思われます。現在日本では「感謝の祭儀」が正式名称とされています。 次は、ミサの式次第が、私たち人間の心の底にある「憧れ」に対応する構造になっていること、についてです。これは大切です。 ミサは、四つの部分からなっています。開祭、ことばの典礼、感謝の典礼、閉祭です。これらは一つのまとまりをなしていますが、それぞれの部分を、私たちを本来の人間へと成長させ目覚めさせる呼びかけ、として見ることが出来ます。この辺りの事情を素描しておきましょう。
  開祭の部では、私たちが神からの呼びかけによって集められる、ということがポイントです。 「エクレシア」(教会)は「呼ばれること」あるいは「呼ばれて集まった人々」を意味する言葉です。 名を呼ばれることは、人間にとって幸いな出来事の一つです。 名を呼ばれること、それは、関心を持たれること、配慮されること、愛されることであり、この経験なしに私たちは人間として生きていくことはできません。 イエスも度々様々な文脈で呼びかけています。 「ザアカイ!」「マルタ、マルタ」「マリア!」「友よ」「小さな群れよ」、そして、「すべて重荷を負って苦労している人たち」へ呼びかけ、癒し、立ち上がらせる存在としてのイエスが福音書に描かれています。 その呼びかけは、時と場所を超えて、今・ここで、私たちへ向けられています。私たちと世界を癒し、新しく生まれさせる声として。
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