名古屋教区典礼委員会
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主の降誕
(降誕の前晩)

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集会祈願

      喜びの源である神よ、
      あなたは、年ごとに、わたしたちの救いの希望を新たにしてくださいます。
      御ひとり子を救い主として喜び迎えるわたしたちが、
      裁き主として仰ぎ見ることも、信頼を持って寄り頼むことができますように。

      Deus, qui nos redemptionis nostrae
      annua exspectatione laetificas,
      praesta, ut Unigenitum tuum,
      quem laeti suscipimus Redemptorem
      venientem quoque Iudicem secure videre mereamur,
      (Dominum nostrum Iesum Christum,
      qui tecum vivit et regnat in unitate Spiritus Sancti,
      Deus, per omnia saecula saeculorum.)

      O God, who gladden us year by year
      as we wait in hope for our redemption,
      grant that, just as we joyfully welcome
      Your Only Begotten Son as our Redeemer,
      we may also merit to face him confidently
      when he comes again as our Judge.
      Who lives and reigns with you in the unity of the Holy Spirit
      one God, for ever and ever.

  福音箇所
  マタイ 1:1-25

解説

  日本では稀に使われる祈願文です。ローマ・ミサ典礼書のルブリカに”24 Decembris sive ante sive post I Vesperae Nativitatis.”とあります。 降誕祭の前夜の夕の祈り前後捧げられます。殆どの教会で夕方の7:00か8:00頃「夜半のミサ」を捧げていますので物理的に難しいからです。
  年ごとに、わたしたちの救いの希望を新たにしてくださるのはイエスのご降誕の神秘そのものです。”secure videre mereamur”の翻訳として、 「仰ぎ見、信頼を持って寄り頼むことができますように。」は言い回しとなっていますし、"secure" の意味は充分表していません。”Mereamur”も「できる」より「心、魂、精神は整えている」とい意味の方がふさわしいと思います。
  考えてみればイエスの誕生の準備期間はその時までのイスラエルの歴史、アブラハムはイサクをもうけてから。だから今日の福音はマタイ1:1-25は、イエスの系図となっています。が集会祈願を見る限り待降節及び終末論の概念は全面的に出ていますので、短縮された箇所を選択する場合、マタイ1:18-25を朗読するより、マタイ1:1-17の方がふさわしいのではないでしょうか。
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