名古屋教区典礼委員会
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受難の主日(枝の主日)

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枝の祝別

      祈りましょう
      全能永遠の神よ、
      この枝+を祝福してください。
      主・キリストに喜び従うわたしたちが、キリストによって
      永遠の都エルサレムにはいることができますように。

(または)

      祈りましょう
      全能の神よ、
      あなたに希望をおく民の信仰を強め
      その祈りを聞き入れてください。
      きょう枝をふりかざして勝利の王、キリストを迎えるわたしたちが、
      キリストのうちによい実りを結び、あなたにささげることができますように。

      Oremus.
      Omnipotens sempiterne Deus,
      hos palmites tua benedictione +sanctifica,
      ut nos, qui Christum Regem exsultando prosequimur,
      per ipsum valaeamus ad aeternam Ierusalem pervenire.

(vel/or)

      Oremus.
      Auge fidem in te sperantium, Deus,
      et supplicum preces clementer exaudi,
      ut, qui hodie Christo triumphanti palmites exhibemus,
      in ipso fructus tibi bonorum operum affereamus.

      Let us pray
      Almighty ever living God,
      sanctify + these branches with your blessing,
      that we, who follow Christ in exultation,
      may reach the eternal Jerusalem through him

(or)

      Let us pray
      Increase the faith of those who place their hope in you, O God,
      and graciously hear the prayers of those who call on you,
      that we, who hold high these branches
      to hail Christ in his triumph
      may bear fruit for you by good works accomplished in him.

  行列前の福音
  マタイ 21:1-11(A年)  マルコ 11:1-10 または 12:12-16(B年)  ルカ 19: 28-40(C年)

  聖週間の典礼についての一番古い記録は、ある女子修道者(?)とその仲間の巡礼日誌、通称 “Egeria’s Travels” として知られています。彼女は紀元後381-384年の間の中東地方を旅して二回、聖週間の典礼に参加しました。枝の主日の典礼、特にその行列とご受難の福音の朗読を紹介しています。行列の出発点は市外からであって数キロに及びました。そしてその間に詩編を唱えました。
  以前枝の祝別のために複数の祈りが使われていましたがトレント公会議後一つだけになりました。一番古い祝別の祈りは600年ころの文献に載せられています。第二バチカン公会議後のミサ典礼はOrdo Romanus 50, (中世期後半)に記載された文書をもとにして新しく編集されたものです。一つだけに+はついています。もう一つは会衆のための祈りとなっています。
  「主・キリストに喜び従うわたしたちが、キリストによって永遠の都エルサレムにはいることができますように。」喜び従うと人生の旅路の完成を強調しています。「希望をおく民の信仰を強め」と「勝利の王、キリストを迎えるわたしたちが、キリストのうちによい実りを結び、あなたにささげることができますように。」聖週間を過ごす私たちの心の持ち方を示唆しています。「勝利の王、」という表現は第二の祈りの原文ではなくて第一の方にありますが最終的にイエスの過越を記念する私たちは勝利の王、キリストのうちに御父によい実りをささげることができるように祈ります。

集会祈願 (A, B, C 年共通)

      全能永遠の神よ、
      あなたは人類にへりくだりを教えるために、
      救い主が人となり十字架をになうように
      お定めになりました。
      わたしたちが主とともに苦しみを堪えることによって、
      復活の喜びをともにすることができますように。

      Omnipotens sempiterne Deus,
      qui humano generi, ad imitandum humilitatis exemplum,
      Salvatorum nostrum carne sumere,
      et crucem subire fecisti,
      concede propitius,
      ut et patientiae ipsius habere documenta
      et resurrectionis consortio mereamur.

      Almighty ever-living God,
      who as an example of humility for the human race to follow
      caused our Saviour to take flesh and submit to the Cross,
      graciously grant that we may heed his lesson of patient suffering
      and so merit to share in his Resurrection.

  福音
  マタイ 26:14-27:66(A年)  マルコ 14:1-15:47(B年)  ルカ 22:14-23:56(C年)

  この祈りを日本語で読んだとき「へりくだり」という言葉が目に留まりました。つき原文はなんでしょう。ラテン語は “humilitatis”, そして英語で “humility”となっています。両方は “humus” 、日本語で言う土地か泥でもに当たります。(創世記、2:7参照)残念ながら、日本語の「へりくだる」または「謙遜」にその意味の概念はありません。ラテン語のsubire fecisti と英語の submitに見える「ゆだねる」の意味は「担う」にないので日本語の三行目に物足りなさを感じます。「わたしたちが主とともに苦しみを堪えることによって、復活の喜びをともにすることができますように。」原文の意味をほとんど無視しています。

  「私たちがイエスの苦難に身をゆだねる姿に倣ってその復活に与るものに値するように。」(フィリピン人への手紙3:8-11)

  この言葉を心にとめながら聖週間に臨みたいと思います。

注意:中央協議会出版の「別冊、毎日のミサー聖週間と復活の八日間」または「聖書と典礼」にご受難の全文は載せられていません。
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