名古屋教区典礼委員会
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待降節の集会祈願
第3主日

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集会祈願

      喜びの源である神よ、
      御子キリストの誕生を
      心から待ち望むわたしたちを顧みてください。
      喜びのうちに降誕祭を迎え、
      この救いの神秘を祝うことができますように。

      Deus, qui conspicis populum tuum
      nativitatis dominicae festivitatem fideliter exspectare,
      praesta quasumus,
      ut valeamus ad tantae salutis gaudia pervenire,
      et ea votis sollemnibus alacri semper laetitia celebrare.

      O God, who see how your people
      faithfully await the feast of the Lord’s nativity,
      enable us, we pray,
      to attain the joys of so great a salvation
      and to celebrate them always
      with solemn worship and glad rejoicing.

  待降節第三主日は英語で”Gaudete Sunday”と呼ばれています。その名の有来はその日の入祭唱にあります。

  Gaudete in Domino semper:
  iterum dico, gaudete,
  modestia vestranostra sit omnibus hominibus:
  Dominus enim propre est.
  Nihil soliciti sitis:
  sed in omni oration petitiones
  vestrae innotescant apud Deum.

  古い日本語の訳になりますが、

  「主において常によろこべ、
  くりかえしていう、よろこべ。
  すべての人に柔和を示せ、主は近い。
  何事も思いわざらうな。
  すべてにおいて、祈り、願い、感謝して、
  求めることを神にいえ。」

  その言葉の前にフィリピ人の書簡4: 4-6 参照してください。第二バチカン公会議前の日の朗読は同じ手紙の4: 4-7でした。
訳として比較的に原文に近いです。その喜びの元は神にあり、その恵みにあることをもう少し強調してもらいたい。ご降誕の神秘と私たちの救いの神秘は密接につながっています。

A年の福音には、
洗礼者ヨハネの弟子はイエスに派遣されて、「来るべき方は、あなたでしょうか」尋ねる。イエスの答えは直接喜ぶ理由をあげませんが彼の到来どれほど底辺に追われて人にとって良い知らせである。その答えから読み取れる。

B年の福音には、
ヨハネ福音書1章に記されている洗礼ヨハネについての記述。洗礼者ヨハネは光についてあかしする。喜びの光についてのあかし。

C年の福音には、
喜びとの接点はありませんが第一の朗読、答唱詩編と第二朗読(フィリピ人への手紙、4: 4-7)で十分そのテーマに触れています。

  A年:マタイ 11:2-11  B年:ヨハネ 1:6-8, 19-28  C年ルカ 3:10-18

  待降節の第三主日から典礼の焦点が移ります。イエスのご降誕を待つ心に重点をおきます。それは叙唱のことばにはっきりみえます。

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