名古屋教区典礼委員会
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待降節の叙唱と集会祈願
第1主日

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集会祈願

      全能の神である父よ、
      救い主を待ち望む心を呼びさましてください。
      わたしたちがキリストを日々の生活のうちに迎え、
      キリストと結ばれて、
      永遠の国を受け継ぐことができますように。

      Da, quaesumus, omnipotens Deus,
      hanc tuis fidelibus voluntatem,
      ut, Christo tuo venienti iustis operibus occurrentes,
      eius dexterae sociati, regnum mereantur possidere caelesti.

      Grant your faithful, we pray, almighty God,
      the resolve to run forth to meet your Christ
      with righteous deeds at his coming,
      so that, gathered at his right hand,
      they may be worthy to possess the heavenly kingdom.

  福音箇所
  A年:マタイ 24: 37-44  B年:マルコ 13: 33-37  C年ルカ 21: 25-28, 34-36

叙唱

      聖なる父、全の永遠の神よ、いつどこでも主・キリストによって、
      賛美と感謝をささげることは、まことにとうといたいせつなつとめです。

      キリストは人間のみじめさを帯びてこのように来られたとき、
      父の定められた愛の計画を実現し、
      わたしたちに永遠の救いの道をお開きになりました。
      栄光を帯びてふたたび来られるとき、
      いまわたしたちが信頼してひたすら待ち望んでいることを、
      すべてかなえられます。

      神の威光をあがめ、権能を敬うすべての天使とともに、
      わたしたちもあなたの栄光を終わりなくほめ歌います。


      Vere dignum et iustum est, aequum et salutare,
      nobis tibi semper et ubique gratias agere:

      Qui, primo adventu in humilitate carnis assumptae,
      dispositionis antiquae munus implevit,
      nobisque salutis perpetuae tramitem reseravit:
      ut, cum secondo venerit in sua gloria maiestatis,
      manifesto demum munee capiamus,
      quod vigilantes nunc audemus exspectare promissum.

      Et ideo cum Angelis at Archangelis,
      cum Thronis et Dominationibnus,
      cumque omni militia caelestis exercitus,
      hymnum gloriae tuae canimus,
      sine fine dicentes:


      It is truly right and just, our duty and our salvation,
      always and everywhere to give you thanks,
      Lord, holy Father, almighty and eternal God,
      through Christ our Lord.

      For he assumed at his first coming
      the lowliness of human flesh,
      and so fulfilled the design you formed long ago,
      and opened for us the way to eternal salvation,
      that, when he comes again in glory and majesty
      and all is at last made manifest,
      we who watch for that day
      may inherit the great promise
      in which we now dare to hope.

      And so, with Angels and Archangels,
      with Thrones and Dominions,
      and with all the hosts and Powers of heaven,
      we sing the hymn of your glory,
      as without end we acclaim:


解説

  原則として、叙唱の構成上、導入の2行と締めくくりの2行は変わりません。真ん中の数行、上に強調した行と集会祈願はテーマ、思想でつながっています。順番は逆になりますが、叙唱を先に見る方が待降節の意味を分かるために役に立ちます。

  英語翻訳はラテン語翻訳に倣って一つの文章になっています。ラテン語の文章の4行目は “ut” ではじまることと英語の5行目のは “that” で始まることは文章の前半は後半の前提を指す大事な接続詞となっています。前半と後半はイエス・キリストの到来について語っていますがご降誕の到来は終末の到来の前提を思い起こします。ご降誕は神の愛の計画の欠かさない出来事、御父の定められた計画、永遠の救いの道を開くため。今私たちが栄光を帯びてキリストがふたたび来られるまで待つ人になっています。明日に向かって生きるように呼ばれています。自分の神のうちにある将来、神の愛のうちに完成される人生の旅中のものです。わたしたちはまさに待降節の人間です。

  もう一度、叙唱の中心の文章を読んで、集会祈願をよみましょう。

      キリストは人間のみじめさを帯びてこのように来られたとき、
      父の定められた愛の計画を実現し、
      わたしたちに永遠の救いの道をお開きになりました。
      栄光を帯びてふたたび来られるとき、
      いまわたしたちが信頼してひたすら待ち望んでいることを、
      すべてかなえられます。


  集会祈願の日本語文はこのようになっています:

      全能の神である父よ、
      救い主を待ち望む心を呼びさましてください。
      わたしたちがキリストを日々の生活のうちに迎え、
      キリストと結ばれて、
      永遠の国を受け継ぐことができますように。

  ラテン語の集会祈願の"tuis fidelibus voluntatem, ut, Christo tuo venienti iustis operibus occurrentes," に含まれている考えは、

      「花婿だ、迎えに出なさい」(マタイ25: 6)

正義と慈しみに満ちた行いを実現したものはキリストを迎えるとき、手ぶらで彼の前に立つではなくて福音を生きたものとして立つ。わたしたちがキリストを迎えに行くと同時に、キリストはわたしたちを迎えに来る。

  と、ラテン語の 、"eius dexterae sociati, regnum mereantur possidere caelesti. "は、すべての民族を裁く場面(マタイ25: 34-36)を思いおこします。

  集会祈願でわたしたちが願うのは、その正義と慈しみに満ちた行いによってキリストの右に、羊のように、立つことができるように。天の国に入る人のなかに数える人であるのを祈ります。
  わたしたちがキリストを迎えに行くと同時に、キリストはわたしたちを迎えに来ると前述しました。迎えに来るキリストを一人ひとりのこころに受け入れるために、心の準備、心を構える必要あります。待降節の第一主日の福音はそれを教えます。

A年の福音にこのように記されています。「目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのかあなたがたにはわからないからである。…だから、あなたがたがも用意していなさい。人の子は思いがけない時くるからである。」

B年の福音にこのように記されています。「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。

C年の福音にこのように記されています。「しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれからすべてのことから逃れて、人の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」

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