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典礼における信徒の奉仕職
―信徒としての司祭職―

会衆の一人としてH

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沈黙(黙想)

「典礼ひとくちメモ」その7を加筆、訂正して引用します。

ミサにおける沈黙・黙想の機会・場
  ミサの流れに沿って沈黙が薦められているとき沢山ありますが残念ながら充分生かされていません。 その再確認の機会になれば幸いです。

1)   回心の儀-招きの言葉の次にrubricaにこう書いてあります。
       Fit pausa silentii

2)   集会祈願前、司式司祭は"Oremus"(祈りましょう)を唱えた後にrubricaに
      Et omnes una cum sacredote per aliquod temporis spatium in silentio

3)   Rubricaにはありませんが、GIRM 45に次のような指摘があります。
      "lectione autem vel homilia peracta, et quae audierunt breviter meditantur."
      “but at the conclusion of a reading the homily, all meditate briefly on what they have heard."
      「聖書朗読後または説教の後には、聞いたことを黙想する。」

  Rubricaには「聞く」という字が使われていますが御言葉の場合、「聴く」という字が示唆する心の持ち方がここで求められています。
  昨年(2015年)日本カトリック司教協議会からだされた冊子、新しい「ローマ・ミサ典礼書の総則」に基づく変更箇所 に朗読後・説教後の黙想についての指示が出ました。ご参照ください。

4)  よく見逃されていますが、「供え物の準備」のrubricaにこの言葉が記されています。
      "submissa voce dicens","Si vero cantus ad offertorium non peragitur, sacerdoti licet haec voce offore."
  二回書かれています。備えの準備のためにミサ典礼書に書いた祈りの言葉は小声で唱えるように薦められています。声を出して唱えることは義務付けられてはいません。「奉納のうたがうたわれない場合は声を出して唱えることができる」とあります。

5)  間を置くべきところとして、"奉納祈願"(Oratio super Oblata/Prayer over the Gifts−ラテン語と英語の言葉は日本語と違う意味を持っています)を唱えて、感謝の祈りへの招き・ 導入の言葉を唱える前に間を置いてもいいと思います。 共同司式のミサの場合、この時点で 共同司式司祭が祭壇に上がることとなっています(GIRM215参照)。同じように感謝の祈りの 最期に"Doxology"とそれに答えての"Amen"を受けてすぐ主の祈りの招きの言葉を唱えずに間 を置くこともできます。 心を入れ替えるため、これから交わりの儀に入るのを示唆する役割もあります。

6)  聖体拝領後、祭器の清めも沈黙のうちに行うことも相応しい 一人ひとりの聖体拝領後の感謝を表す時間、オルガンなどでそれを誘う音楽を演奏してもいいと思います。心を整える絶好の機会ではないでしょうか。

7)  祭壇の清めを終えた後、rubricaにこう記されています。
      "Pro opportunitate sacrum silentium, per aliquod temporis spatium."

8)  そして最後に"Post Communium"(拝領の祈り)を唱える前にrubricaに
      "Et omnes una cum sacerdote per aliquid temporis spatium in silentio orant,
      nishi silentium iam praccesserit."


   7)で沈黙・黙想を設けなかった場合、ここで設けるとなっていますが、両方していいと思います。ミサ中にこれ程の沈黙・黙想機会があるのを考えれば深い祈りに支えられたミサができるでしょう。司式者としてミサに与っている信者にこういう機会・場を提供する責任があると思います。そういうミサが増えるよう願いをこめて・・・

  聖堂に入って、ここは正に祈りの場と実感したことありますか。私の経験の中で思い出します。以前、ヨハネ23世教皇とパウロ6世教皇のお墓はSan Pietro大聖堂の地下にありました。今お二人の列福・列聖に伴ってお墓は上の大聖堂に移動されました。何回も行ったことがあります。 そのたびに必ずお二人のお墓の前で(隣接していた)、立ち止まって祈りました。同じようにそこで祈りたい人の列ができたので長く祈りできないときありました。ある日―20年以上も前の話ですが―、父と姪・甥子と行ってゆっくり祈りができました。父もゆっくり祈りをしました。そして後で父は言いました。 「お二人のお墓の前に立つと自然に祈りができた。」また、ローマ市内外の何カ所の教会で同じ体験をしました。神言会が管理しているカタコンベ、San Domitillaの大聖堂もその一つです。

  聖堂に入ってすぐここは祈りの場と実感する聖堂はそこで祈る信者によっての長年の祈りの生活のお蔭だと言えると思います。私たちの所属している小教区の聖堂はそこで祈る人の努力、貢献によってそうなれるはずです。わたしたちがミサのために大聖堂に入る時だけではなくて、ここは祈りの場であるような心を大事にしましょう。祈りの心を持ってお聖堂に入って、そこにいる間にその心を保ってばその時ごミサ中の私たちが唱える言葉、歌う言葉は、沈黙・黙想によって養われた心から自然に流れて、生まれてくる・・・そうすることでミサ後、私たちが臨む日常生活にも変化が生じます。祈りに支えられた生活に変わります。

  ミサを終えてお聖堂を出て慌ただしい日常生活に戻る前に、ミサの間に沈黙・黙想の機会を大切にしましょう。そしてその貴重な時間の間に聞いたみ言葉をゆっくり味わう、かみしめる。自分の心の奥でつぶやき、イエスの声に耳を傾きましょう。その一回ずつの沈黙・黙想、どのぐらいの時間を設けるか、目安ありますか。主の祈りをゆっくり唱える時間を薦める人はいますがこのような時間は時計ではからないと思います、その時の自分の心に相談しながらいいかもしれません。また司式司祭も信徒の祈りの助けとなるよう努力していただきたいと切に願います。
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