ひとくちメモ  その10

共同祈願-Oratio Universalis-The Prayer of the Faithful
祈願すなわち信者の祈りにおいて、会衆は信仰のうちに受け入れた神のことばに何らかの方法で答え、洗礼による自分の祭司職の務めを実行して、すべての人の救いのために神に祈りをささげる。(ローマ・ミサ典礼書の総則 69)

第二バチカン公会議を受けて実行された典礼刷新によってごミサなどに“共同祈願”という祈りが導入されました。こういう類の祈りの原型は聖金曜日の主の受難の祭儀の盛式共同祈願に見られます。 ごミサにおける共同祈願はその基本的構造を擬固した、もっとシンプルになっています。

司祭―招きに言葉を唱える。
先唱者―意向を唱える。
会衆―その意向のために祈る。
司祭―結びの祈り


ここで留意すべき点は、先唱者が唱える言葉は意向、祈りではない。ということです。「簡潔」ということが大切です。「聖書と典礼」には載せられた文章は例文でありながら模範的な意向文だと言えます。例えば

「最も大切なこととして主が教えてくださった神への愛と隣人への愛を私たちも主にならって実践することができますように。」

意向の文章に「そして」か「また」のような並列・累加を意味する接続詞が入っていると気づいたら、その文章を再編集して、もっと簡潔になるようにした方がよいと思います。上述した例文の長さを参考にすることをお勧めします。

さらにもう一つ注意したいことは「聖書と典礼」に書いた文章は例文に過ぎない、ということです。 さ共同体全体の願いを表明するようにすべきであり、共同体全体の願いを表明するようにすべきです。 ここでいう共同体は、その小教区、その場でミサをささげるために集まっている信者は、次の順序で意向を唱えるように指定されています。

a)教会の必要のため。
b)国政にたずさわる人々と全世界の救いのため。
c)困難に悩む人々のために。
d)現地の共同体のために。
ただし、堅信、結婚、葬儀などの特別な祭儀においては、特殊な機会をもっと考慮して意向の順序を決めることができます。 必ずこの四つの分野に触れる意向を設ける。意向を必要以上増やさず、ありふれた意向も避け、そして、 「聖書と典礼」の意向は数週間、数ヶ月間前に作成されたものであることを念頭におき、ごミサが実際に捧げられたその日、 その時、 祈りを必要な人々(災害の被害者、社会的、政治的、世界の情勢を考慮)のため、各共同体、各小教区でできる意向を作成するのは望ましいことであり、理想的です。

さて、意向を唱えるは誰でしょうか。そして、どこで唱えるのでしょうか。

総則94によりますと助祭はいるとき、助祭は意向を唱えることとなっています。意向を唱える人の数を必要ではない限り増やさないほうがいいですし、 複数の言語を使うとき会衆の呼唱を招く文句を一つの言語、共通の言語に統一することを考慮する努力は求められています。そうでなければ本当の共同祈願として成り立ちません。 一致のしるしである典礼の意味をぼやかす、それを損なう恐れがあります。また、殆どの場合、意向を受けて会衆は呼唱しますが時々聖金曜日の典礼に習って沈黙を持つことでもできます。 共同祈願について総則71を再確認してみるとよいでしょう。

自席から祈願を指導するのは司式司祭の役割である。司式司祭自らが、信者を祈りへ招く短い言葉によって祈願を導き、祈りによって結ぶ。 告げられる意向は偏りのないもので、よく考えて自由に、簡潔なことばでつくられ、共同体の願いを表明すべきである。
意向は朗読台あるいはほかのふさわしい場所から、助祭あるい先唱者、もしくは朗読者か信徒の一人によって告げられる。
会衆はそれぞれの意向の後に唱える共同の呼唱によって、あるいは沈黙のうちに祈ることによって、祈りが自分のものであることを立って表現する。 (総則 71)

(文責)名古屋教区典礼委員会  委員長  Brendan Kelleher svd.
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