名古屋教区典礼委員会
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第44回典礼研修会

  2016年10月10日(月)南山教会マリア館にて、かねて計画していた通り講師に南雲正晴師(フランシスコ会)を迎え名古屋教区典礼研修会を開催いたしました。南雲師は『ミサ典礼書』改訂委員長、典礼音楽担当部門責任者を務める日本カトリック典礼委員会の委員です。研修会は名古屋教区典礼委員長ブレンダン・ケレハ師(神言会)による開会の祈りから始まった。この祈りは名古屋教区典礼委員会の定例会議にも始めと終わりに使われているもので委員により作成されたものです。

“主イエズス・キリスト、あなたは私たちのためにご自分の死と復活の記念を残してくださいました。あなたの教会が護ってきた伝統と信仰に仕える私たちの働きを、あなたの慈しみに満ちたまなざしで祝福してください。私たちの捧げる奉仕が名古屋教区民の信仰生活を養い育てる神の計画に役立つものとなりますように。”

  祈りに続きケレハ師は「委員長職を前教区長から委嘱された年に出席した全国典礼担当者会議で出会った南雲師をいつか名古屋教区の研修会に講師としてお招きしたいと願っていたが、今日ここに実現したことは感謝にたえない」と述べた。それを受け南雲師が自身の歩みを紹介し研修会が始まった。献げ物の準備、奉納行列につづき司式司祭は会衆を祈りに招く(奉納祈願)。そして記念唱につながる「信仰の神秘……」会衆は応える「心をこめて神を仰ぎ、賛美と感謝をささげましょう」と。今回はこの応唱をテーマとした。

  南雲師は賛美について「五感で感じ、それが自然にアクションとなる。」と語る。それが「踊る」「楽器を使う」「歌う」ということであり、それぞれの文化風習が基礎となり融合し発展したものである。その点を確認したうえで南雲師は典礼聖歌の歴史を日本には日本の文化風習があると「古事記」に触れて語る。「典礼とは何か?」「十字架のしるしとは何か?」「大事なことは漢字に表記しない。『神=カミ、罪=ツミ』」。このC年待降節から一部ではあるが認可部分が公表された。南雲師は問いかけます。福音朗読の際、「〇〇による福音」と言い、「主に栄光」と答えながら十字架のしるしをしているが「額」、「口」、「胸」この意味を知っていますか?「典礼」とは何ですか?
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10月10日
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  午後からは、主に聖歌の実践練習が行われた。南雲師は声がきれいであることにこしたことはない。また楽器が弾けることにこしたことはない。だが、声に、指に、祈りがなければ意味が薄い。歌の巧い下手は問題ではなく楽器の技術がすぐれているかどうかでもない。「人」だから失敗することもある、そこに「祈り」があることが大切であることを強調した。その指導により60名に及ぶ参加者の「歌声」が「祈り」に昇華したと言っても過言ではない。

  閉会の感謝ミサでは、恒例により講師の南雲神父が主司式司祭を務め、ケレハ神父が共同司式に立った。所作動作については個々の小教区の普段の習慣はしばし置いておいて、現在、公表されている「ローマ・ミサ典礼書の総則」に準じて行われた。

  取り決めに従って捧げる儀式であっても「人」ゆえに様々な想定外のことが起こりうるが、各小教区による神への「最上のささげもの」こそが賛美であり祈りであるのでしょう。当日、配布したリーフレットの表題はテーマである「心をこめて神を仰ぎ……」ではなく「心をあげて神を仰ぎ……」とした。耳に馴染んでいない言葉ではあるが、限られた時間の中で幾度も南雲師と研修会の打ち合わせを重ねる内に辿り着いた言葉である。このことは講師からも典礼委員会からも、参加者に対して特別な説明はなかったが、一日の研修を通して、また感謝ミサを味わい五感をもって感じ取って頂けたのではないか思います。(事務局)
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10月10日
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