名古屋教区典礼委員会
≪≪HOME
    ≪≪検索
空白

12月3日   日本宣教の保護者聖フランシスコ・ザビエル司祭(祝日)

マルコによる福音(マルコ16・15-20)

それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。 信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」 主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、 それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。
空白
12月3日
空白
ザビエル
ザビエルは、スペイン、ナバラ地方の貴族の家に生まれた。 1526年からパリ大学で学び、そこでイグナチオ・デ・ロヨラと知りあった。 イグナチオの考え方に影響を受けフランシスコは、名誉も財産も捨て、キリストに従う生き方をしようとイグナチオの仲間となった。 1534年にパリのモンマルトルで誓いを立て、宣教に身をささげるイエズス会を創立した。 3年後に司祭となったフランシスコは、イタリアで活躍し、その後1541年にはポルトガル王の要請を受けて、イグナチオからインドに派遣された。
インドでは、気候・風土・習慣などの困難にあいながらも、宣教に尽くし多くの人びとに洗礼を授けた。 その後マレーシア、インドネシア、フィリピンなどの島々を巡り宣教した。 マラッカで日本人のやじろうと出会い、彼を信仰に導き、1549年、彼とともに日本の鹿児島に渡った。 平戸、博多、山口を通って、天皇から宣教の許可を得るために京都に向かったが、会うことができずに山口に戻った。 そこで大名の大内義隆より宣教の許可を得、熱心に活動した。 その後、日本が中国の仏教の影響を受けていることを知ったフランシスコは、まず中国に渡ることを決意し、1551年に日本を離れインドに戻った。 中国に入ろうと努力するが、広東港外の上川島で病気になり、亡くなった。フランシスコの遺体はゴアに移された。
空白